(承前)
1984年4月、私は同期のトップを切って課長に昇進し、ロータリーエンジン(RE)の実験をする「第5エンジン実験課」の40人の部下を持つ身になった。排ガスのリコールによる損失は不問にされる一方、排ガス問題の根絶は評価されたようには思えなかった。それにもかかわらず課長になれたのは、何かしら使命感を持って本質的な仕事をしている姿が評価されたと思われる。課長就任挨拶を40人の前で行ったとき、彼らの背後に彼らの家族の顔が見えた。彼らの人生と彼らの家族の生活を自分が握っているという緊張感で身が引き締まる思いだった。

その後、会社から労働基準法に基づく衛生管理者資格を取るよう指示されて受験勉強をしたところ、労働基準法は社員には手厚い庇護(ひご)をしているが、管理者は一切無視していることに驚いた。逆に言えば、管理者は社員の労働条件を維持するために、24時間、365日、残業や休出手当なしに仕事せよと読めた*1。管理者も社員も人間としては平等なのにと不満を感じたが、最終的には「管理者は社員の下僕たれ(労働条件の改善を使命とせよ)」という法の精神だと理解した。この時から私は「マツダのために生きる」との考えになった。私にとっての「マツダ」とは、マツダの同僚、部下、上司、全ての仲間のことである。
実験部長から課長としての抱負を書けと言われたので、1981年から研究を始めていた管理技術*2を総動員して以下の文書を作成した。これら管理技術の知識が、後年にモジュラーデザインを開発する基盤になった。
