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 知の創造プロセスである「創発」をモデル化した「イノベーション・ダイヤグラム」によって、科学革命を起こした物理学者たちの発見を読み解く。京都大学大学院総合生存学館(思修館)の山口栄一教授が新たに著した『死ぬまでに学びたい5つの物理学』(筑摩選書)の白眉は、この部分にあるといえるだろう。今回は、米国と日本のイノベーションのあり方の違いから、新たな知を生み出す仕組みについて聞いた。(取材・構成は、片岡義博=フリー編集者)

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米国人は勇敢で日本人はヘタレか

――この連載は「日本では科学を論じないしきたりがある」という話から始まりました。それはつまり、日本に創発を促すような環境がないということですか。

山口 そこを考える必要があります。教育から企業、政治、行政まで、日本のすべてのシステムが、創発を生み出す仕組みにはなっていません。システムがないので、個人の努力でやるわけです。

 だけど個人の努力ではどうにもならない部分があって、それは例えば企業です。企業にも創発という要素がすごく必要です。創発によって「今まで思いもよらない物事を見つけたり、あらしめたり」して、新しい製品を生んでいるのです。ところが、冒頭でお話したように、技術系の大企業は結局、中央研究所を次々に縮小させてしまって、日本は創発を生むシステムを捨て去った。

――それは、「資本の論理」ということでしょうか。

山口 資本の論理です。だから、創発は短期的利益を追求しようとすると、絶対に出てきません。

――米国や欧州でも企業の中央研究所は縮小したのでしょうか。

山口 はい、すべては米国から始まりました。ベル研究所が基礎科学の研究打ち切りを決めたのが1990年、その翌年にはIBMのワトソン研究所も基礎研究の打ち切りを決定しました。それから、ゼロックスのPARC(パロアルト研究所)もなくなって、ヒューレット・パッカードも規模を縮小しました。

 その結果、中央研究所から追い出された人たちが、大学に行くなりベンチャー企業をつくるなりした。1990年代に大幅な経済再生を遂げた「米国の奇跡」は、そこから生まれたベンチャー企業によって実現したと一般に信じられているでしょう?

シリコンバレー発祥の場、ショックレー・セミコンダクター社の社屋。建物はまだ残っていて、果物店として使われていた。
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――違うのですか。

山口 ある側面では、当たっていると思います。だから、自分で企業を興した米国人は勇敢で、日本人はヘタレだというのが一応の定説ですね。日本人の企業内研究者のほとんどは、どこにも行けずに会社内でつぶされていった。ほんの一部はサムスン電子をはじめとする韓国企業、さらに中国企業に移って揶揄(やゆ)されましたね。

 でも、彼らは偉いと私は思います。日本の企業は、何が贅肉(ぜいにく)で何が脳みそか分からなくなってしまい、贅肉を切るつもりで脳みその方を切ってしまった。切り取られたイノベーターたちは、それでも自分の技術を世に生かしたい。そのために沈みゆく船を脱出していったのですから。日本のためにはならなかったけれど、中国や韓国のためにはなりました。それは全体最適にとって良かった。彼らの持つ技術が実用化されて価値が生まれたのです。

――だけど、会社に残ってその技術を死なせてしまった日本人は、大学やベンチャー企業に行った米国人に比べると、技術を世に生かせなかったと。

山口 必ずしも個人の問題とは考えていません。シリコンバレーを10年以上にわたって定点観測してきた私は、この問題を個人の勇気に帰するのではなく、何らかの制度的要因があるという仮説を立てました。結果的にそれは正しかったのですが、調べていくと、米国のSBIRがカギだということが分かったのです。