経営革新に向けた大ばくち
1983年に、東京大学の久米均教授と広島大学の布留川靖教授による「TQC(Total Quality Control)指導会」が始まったことは以前に書いた(第6回参照)。この場で私は「研究開発業務への統計的手法の応用」を報告したり、業務標準管理の「MBS(Mazda Business Standard)制度」を発足させたりするなど品質改善活動に取り組んでいたことから、品質保証部に志を同じくする仲間ができていた。「浮沈を繰り返すマツダを何とか変革したい」「マツダもTQCのデミング賞を受賞したい」といった思いを共有していた、まさに同志と呼ぶにふさわしい存在だった。
その彼が1993年、マツダの経営革新のために大ばくちを打った。ISO 9001の認証取得をしなければ欧州での自動車認証取得が煩雑になると経営層に訴えて、全社的なISO 9001認証取得プロジェクトを発足させたのである。このプロジェクトでは、R&D部門の代表として共通化・品質推進グループマネージャーがISO推進委員になり、私も共通化活動を一時棚上げし、ISO 9001認証取得の副委員として参加した。
マツダには、地元の中卒や高卒の社員が多く入社していた。当時は社内に中卒社員が働きながら学べる養成校があった。養成校出身で専務まで昇進した人もいたように、中高卒でもそんじょそこらの大卒がかなわない優秀な社員が多かった。
品証部の彼は高卒だったが、非常に勉強家で頭も切れ、ポーカーフェースかつ理詰めで論を進めるので、彼と対等にディベーティングできる者はほとんどいなかった。共通化・品質推進グループマネージャーは彼を評して「彼の上役はたまらないだろうね」と語った。役員に対してもそのスタイルで迫ることがあるので、役員から極端に毛嫌いされることがあり、彼は40歳代後半に差し掛かろうというのに、いまだ主任だった。
彼はその特徴を買われ、長年にわたって社外との品質責任問題の交渉を一手に担わされてきた。いつか彼と呑んだ時、「自分はサプライヤーさんを多く泣かしてきて冷酷無比な男と言われてきたが、本来の自分は義理・人情に厚い浪花節の男だと思っている」と涙ながらに語った。ISO 9001認証取得プロジェクトの全社事務局長は品質保証部長が担当していたが、実質的な全社リーダーは一事務局員の彼だった。
彼が各部門の委員を引率して、あるISO認証取得の先進企業を訪問した時、その企業は継続審査で審査員に見せるための文書と実際に運用している文書を使い分けていることを知った。他の多くの会社でもそういった二重文書管理をやっているらしいことも分かってきた。彼は全委員に対して「マツダがISO 9001の認証取得をする目的は経営革新である。見せられない文書はあってもよいが、二重文書管理は絶対にやめよう」と指示した。