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リニアモデルの亡者

 技術開発や企業経営というものは、そんなにスッキリとしたカッコいいものではない。幸之助さんも「経営学者に会社を経営させたら、会社はすぐつぶれる。経営書から学べるのは、いわゆるカッコのいい理屈だ。経営というのは、そんな生やさしいカッコのいいことじゃない」と良く話していた。

 日本でも、最近でこそ「リニアモデルはダメだ」という意見が出てきたけれど、まだリニアモデルの亡者は生き残っている。

 例えば、この10年間で第1期、第2期と2回に分けて40兆円に近い金額を費やした国の科学技術基本計画という事業がある。今、第3期を始めようと議論が進んでいるところなのだが、推進のうたい文句は常に「研究開発は知的創造を目指すもので、50年・100年の大計をもって当たらなければならない」という論理である。

 確かにその考え方自体は間違ってはいない。だが、大学というのは明治以来存在しているが、これまでの100年間にどんな成果があったか。寡聞にしてエレクトロニクスの世界では、世界を動かしたような成果は何一つない。ほかの分野でもそう変わりはないだろう。まずは、そこを議論した上で今後の100年の基礎研究を議論した方がいい。年間4兆円もの税金の無駄遣いにならないように。

 大学の理工系教育が基礎研究偏重だから、卒業して民間企業に就職した技術者も「私は基礎研究がやりたい」と希望を持つ。「基礎研究とは何か」に耳を傾ければ、好きなことを好きなだけやるから、それに対する給料をしっかりくれということなのだ。せめてノーベル賞をもらえるような仕事なら、会社に迷惑をかけてもどうぞ続けてくださいとも思うが、5年もしたら忘れられるような論文を書いて、どうなるのというのか。こうした考え方もリニアモデルを信奉したことの弊害なのだろう。

 前述したワットの話ではないが、科学技術というのはすべて過去の模倣から成り立っているという基本をもう一度見つめ直した方がいい。キャッチアップは基本で、それが満足にできないメーカーや技術者からは新しい発見は生まれない。

 日本メーカーには、まだまだキャッチアップモデルによって学ばなければならないことがたくさんあるはずだ。かつてキャッチアップが至上命題だった時代のエッセンスを思い出した方がいい。

 背後から東アジアの国々が追ってくる。それに対抗するために人件費の安い東南アジアに行って、中国に行って、インドに行く。そうして、うろうろしている過程で、多くの技術は海外に流出する。自分で自分の首を絞めてきたのが日本メーカーだった。その間の経営には少しも独自の発想がなかった。その過程でキャッチアップの神髄を忘れてしまったのかもしれない。

 かつて、キャッチアップがうまくいっていたときには、幸之助さんの例に限らず経営者がビジョンを徹底し、責任を持って決断を下し、リスクに挑戦していた。キャッチアップに徹するための強力なマネジメントがあったのだ。

 「何も決めないから失敗もしない」。それが今の日本メーカーにおける最大の失敗なのだろう。そういう意味では幸之助さんにもよくない点がある。「経営は真剣勝負で切り殺されたら終わり。生き返るのはマンガの世界だけ」とよく彼は言っていた。そのせいで松下電器には失敗を恐れる風土ができてしまった。