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前回前々回に続き華麗なる技術者、小畑至弘氏を紹介する。今回から2回にわたり、コラム筆者の加藤幹之氏と小畑氏の対談をお届けする。小畑氏は、KDD(現・KDDI)という大企業で積んだ技術者の経験を、イー・アクセスのCTO(最高技術責任者)としていかんなく発揮した人物である。ADSL事業で日本のブロードバンドビジネスを切り開いた同氏は今、BizMobileというベンチャー企業のCEO(最高経営責任者)として、再び挑戦を始めている。今回は、インターネットというグローバルプラットフォームを日本に根付かせた同氏の生い立ちに迫る。

加藤 今日はよろしくお願いします。まず、小畑さんの生い立ちから教えていただけますか。確か、幼少時代は海外で過ごしたとおっしゃっていましたよね。

小畑 はい。3歳のときに、父親がオーストラリアに単身赴任していたので、家族で。

加藤 オーストラリアのどちらですか。

小畑 至弘(おばた・よしひろ)。BizMobile 代表取締役CEO(最高経営責任者)。1961年生まれ。1986年に京都大学大学院修了後、国際電信電話(現・KDDI)入社。データ通信関連のシステム開発やインターネット関連事業の立ち上げ、およびグローバルネットワークの構築、日本インターネットエクスチェンジの創業などに携わる。1999年にインターネット総合研究所を経て、イー・アクセス(現ワイ・モバイル) の創業メンバーとして同社取締役CTO(最高技術責任者)に就任。第3世代や第4世代の移動通信関連の標準化にも携わる。エクイニクス・ ジャパンを経て、2014年7月より現職。
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小畑 シドニーです。最初の1年は、すごくきれいな広い家を借りていました。ただ、その家の持ち主が帰国なさったので、その後は普通の家でしたけれど。8歳までオーストラリアにいました。

加藤 では、小学校の最初のころは、オーストラリアの方だったのですね。小学校は、現地校だったのですか。

小畑 現地校です。僕は、保育園から現地の学校に行ったんです。たぶん、引っ越して早々に入れられちゃいました。家の近くで母が「バイバイ」と言って、普通の市バスに乗って3歳から通ったようです。過酷ですよね(笑)。

加藤 3歳からですか。

小畑 だって、日本でさえ、3歳の子を1人でバスに乗せないですよね。どうやって帰ったか覚えていません。1年後に引っ越した後、幼稚園から大学まである一貫校に入りました。男子校でした。幼稚園で、突然ある日、先生に「明日から違う教室に行ってください」と言われて、小学1年生になったんです。

加藤 1学年、飛び級したということですか。

小畑 ええ。ちょうど1学年上に日本から級友が、男の子が入ってきたんです。男子校でしたから。

加藤 男子校ということは、私立だったのですね。

小畑 はい。超名門学校で、ネクタイを締めて制服で通っていました。英国のパブリックスクールのような学校です。たぶん、向こうではおまえがそんなところに行っていたのかと言われるような(笑)。

加藤 へぇ~。日本に戻ったときは小学3年生として?