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医学と高分子化学の融合

 寺本の後を受けて東レ側の開発担当となった小路は、谷らの実験現場に初めて足を踏み入れたときのことを、鮮明に記憶に残している。

 部屋に入るなり、「あっ、ちょっとこの肝臓を持ち上げといて」と、いきなり声をかけられた。麻酔をかけられた犬が手術台に横たわっており、医師は肝臓の下の部分を縫い合わせる手術を行っていた。

 縫合したい部分の上に肝臓があるため思うような手術ができなかったところに、誰かが部屋に入ってきたので「いいところに来た」と、すかさず声をかけたのだ。

 「あのときの、生暖かく、ずしりと重い感覚は、いまでもよく覚えています」このときを境に「そんなことは日常茶飯事になっていく」が、不意打ちの初体験であっただけに、そのときのショックはトラウマのように残っている。

 医師の国家試験取得年次が一年違えば奴隷・下僕、といわれるほど、外科医の世界は徒弟制度のように上下関係が厳しい。しかし、谷たちPP班では、「ひとたび実験にかかったならば、そこには上も下もない」をモットーとしていた。実験データは誰でも公平に見ることができたし、実験結果をめぐっては上下関係にとらわれずに遠慮なく議論を戦わせた。

 それを東レの研究者ともできたことが、開発途上においてつぎつぎと立ち現れてくる困難を克服するうえで大きな力になった、と谷は語る。

 「われわれが東レの研究所を訪れると、たった一杯のお茶で、お互いに何時間もホットな議論を交わした。われわれも持てるデータはすべて公開したし、東レの研究者も貴重なデータを惜しみなくわれわれに提供してくれた。高分子化学の最先端の知識を持つ東レの研究者の発言には、さすが世界の東レだ、と感銘を受けるものも多く、われわれにとっては大きな刺激となった。

 いまでこそ産学協同の必要性が盛んにいわれているが、医学と高分子化学という異なった分野での基礎研究の融合、そして人と人との融合、それが理想的なかたちで開発プロジェクトとして一体化したことが、いくつものハードルを乗り越えて、ついには世界で初めてという製品を生む成果となって結実した」

 「世界初」は、どんな分野であっても容易なことでは成し遂げられない。

 まして、格闘する相手は、これまで世界中の医学研究者たちを惑(まど)わせてきた毒素、エンドトキシンという難敵である。存在することはわかっているけれど、「シンドローム」(症候群)という言葉で語られるように、同時に発生した一連の症状でしか把握できず、計測することも不可能とみなされていた。

トレミキシンの構造はどうなっているのですか?
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(図版提供・東レ・メディカル)