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 本コラムでは、過去に2回ほど焼き餃子について取り上げている(「第3回:焼きギョーザの『新規性』と『進歩性』」、「第7回:焼き餃子の新たな創造」)。そのうちの2本目で紹介したのが、浜松市にある餃子機器メーカーの東亜工業である。

 浜松といえば、宇都宮と並ぶ餃子の街だ。その浜松で生まれた東亜工業の餃子機器が海外に展開されたことで、日本の焼き餃子は世界へと広がり“GYOZA”として普及するまでになった。だが、この東亜工業は実は、元々は自動車部品メーカーだったのだ。それがどうして餃子機器を作ったのか。はたまた、その誕生の地がどうして浜松だったのか。筆者はずっと謎に思っていたのだが、幸いなことに、最近、東亜工業の2代目社長である請井正さんから話をうかがう機会があり、その謎がついに解けた。そこで、今回から2回に分けて、その点について紹介したい。

浜松の二つの“顔”

自動車やオートバイの産業集積地

 浜松は、日本で有数の製造業の街だ。自動車、オートバイ、楽器、電子機器の分野においては、ホンダ、スズキ、ヤマハ、河合楽器製作所など日本を代表する企業が生まれており、世界的にも知られている。

 しかも、浜松にはこうした大手企業だけではなく、それを支える中小企業もたくさん存在している。それがものづくりを発展させる土壌となり、自動車やオートバイ、楽器といった産業を発展させた。

 製造業関連の研究環境としても浜松はいいところだ。筆者は実は、留学生時代の初めての学会発表を、この浜松市にある静岡大学工学部で経験した。そうしたこともあり、この街は強く印象に残っている。当時は、静岡大学の工学部が県庁所在地の静岡市ではなく浜松市にあることに疑問を感じたのだが、産業の視点からみればそれは当然のことだった。

 浜松には、製造業に必要なさまざまな会社がそろっており、部品や加工品などがすぐに手に入ると同時に、ものづくりや研究開発に欠かせない情報を集めやすい。そこに大学があれば、産学連携も進めやすい。企業の集積が浜松をものづくりの街へと発展させ、それがさらなる企業の集積を促す。この好循環が、浜松を日本を代表する自動車とオートバイ、楽器といった産業の集積地へと押し上げたのだ。

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