平均値を言っても何の意味も無い

 今のイチロー選手は、確かに打率や安打数はかつてのような数字を出してはいない。しかし多分、彼の考えている理想の野球をしているという手応えを、今こそ実感しているのではないかと思う。身体的な能力のピークは過ぎたのかもしれないが、彼の技量は進化しているし、これからも伸びると、彼は考えているに違いない。

 そうして、彼はまた暫くの間、存分に、メジャーリーグのアスリートとして活躍するのだろう。

 実は最近、私は歳を聞かれることが多くなった。私が本当は何歳なのか、初めて会う人は、それがよく分からないらしい。

 私は、自分で若々しいとは言わないが、たまに同窓会に出掛けて同じ年齢の友人に会ったりすると、中にはエッと思うようなジジイ(失礼な言い方だがホント)もいれば、思わず胸がキュンとするようなマドンナもいる。

 この場合、歳が分からないのはイイことかも知れない。私を胸キュンにさせる彼女は、どう見ても、還暦をとっくに過ぎたようには見えないし、何より、元気で仕事もバリバリこなす現役キャリアウーマンなのである。

 多分、初めて会った人は、彼女の実年齢を聞けば腰を抜かすようにビックリするのであろうが、これも多分、では何歳かと聞かれたとき、それに答えるのは難しいだろう。

 彼女は今、現役のキャリアウーマンという意味では、まさにお年頃であり、彼女の事業も今が旬、事業もお年頃なのである。

 一体、人も事業も、ずっとお年頃でいるのには、どのようにしたらいいのだろうか。

 それは、その人にとって、もっとも自律している(あるいは自律できる)ことを、しっかりとやり遂げる、そのようなことではないだろうか。

 そして、それが例え他人からどう見られようと、自分でしっかりと認識してやり遂げることではなかろうか。

 もっと言えば、世間一般で言う、年齢と連動するような事象を気にすることはないということだ。先にも書いたが、結婚適齢期とかスポーツの成績のピーク年齢、あるいは、デザインといった創作活動の才能的なピーク等々、個性や個人差がある中で、その平均値を言っても何の意味も無いことを、明確にすることではないだろうか。