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連載を振り返って

 最終回をまとめるに当たり、あらためて自分の人生を振り返ると、今の私が存在する理由は多くの人々のおかげであり、感謝してもしきれない。高校時代の家庭教師や恩師、マツダ入社後の先輩や上司、そしてマツダ退社後の仕事関係の人々など、数え切れないほど多くの方々から指導教育、鞭撻、叱咤激励を受けた。

 特に、ビジネス人生の32年を過ごしたマツダ時代は、現在の私を形成できた時代だった。ロータリーエンジンの排ガス対策と燃費改善に集中して挫折を乗り越えて新境地に達したという体験も含め、好きなことを何でもやらせてくれるマツダにいたからこそ、自分の理想を追い求めることができてモジュラーデザインに行き着いたと思っている。

 しかしながらマツダは、社員の自主性を重んじつつ社員全員を一つのベクトルに束ねる経営管理力が弱く、そのことが今の位置に甘んじざるを得ない原因だった。現在のマツダの人材育成方針は「骨太人材の育成」とのことだが、「人馬一体」のような固有技術に関する優れた統一テーマだけではなく、「科学的経営」を旨とする統一的な管理技術力の強化にも取り組んでほしい。マツダに育成してもらった私にとっては、マツダの発展のためにエールを送り続けることが恩返しだと思っている。

2015年1月に開催された、1980年代の旧ロータリーエンジン実験グループの同窓会。このうち4/5が私の元部下で、残りが先輩と同期である。

 最後に、私の人生の分岐点ごとに適切な言葉を発してくれた妻に感謝したい。私が社会人として未熟だった20歳代、風邪でちょっとでも熱が出たらすぐに会社を休もうとする私に妻は「そんな熱ぐらいで休んではいけません。会社に行きなさい!」と追い出してくれた。そのことによって、次第に私は社会性を身に付けていった。会社で居所がなくなって辞表を書いて上司に叩き付けようとした時、「あなたの人生だからあなたの自由にしたらいいでしょう。でも焦って辞表を出さなくてもいいのでは?」の一言があったために、自らの力で会社の中に居所をつくり始めた。マツダの幹部社員転身支援制度を「これはあなたのための制度ですね」と言って、私が自分を生かす新しい世界に飛び出すきっかけをつくってくれた。韓国Samsung Electronics社から顧問就任要請があった時「あなたは売国奴になるのですか?」の一言で、日本から忘れ去られる危機を回避できた。そして今、「やれやれ、10カ月にわたる連載がようやく終わる。でも、こういう回想録を書くとその後1年ぐらいでコロッと逝く人が多いらしいので気を付けないとね」と語ったら、妻は「大丈夫。あなたは憎まれっ子だから」と笑った。

(完)