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 実は、ぼくがドゥイーノを訪れた理由はもう一つある。ぼくにはその1年前の2010年夏に自ら命を絶った親友がいた。中村信一郎という。彼も縊死だった。なぜ彼を救えなかったのか。それ以来、ぼくは自死するときの絶望についてずっと省察するようになった。ボルツマンの思いがデポジットされた場所に立ち、どのような空気が彼を死に向かわしめたのか思いを巡らせた。

 コート・ダジュールに面する南仏ニースに住んだ経験があるぼくからすると、ドゥイーノは一級の保養地とはいえ華やかさに欠け、どこか寂しげな街だった。ボルツマンがニースに来ていたら自殺しなかったと思う。太陽があまりにも明るく、空があまりにも青い(アジュール)から。かといって彼が生まれたウィーンは歴史と伝統のある重厚な街。死ぬにしても、いったんそこから逃れたいという心境は分かる。

 ボルツマンはドゥイーノできっと元気を取り戻し、力を得たのだと思う。しかしそれは自ら命を絶つ力でもあった。

ドゥイーノの東の海岸線。コート・ダジュールに比べると、ヨットやクルーザーの姿も少なく、なにやら寂しい。奥にトリエステの街並みが見える。
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ドゥイーノの西の海岸線。オレンジの屋根の邸宅はその多くが別荘。イタリア半島が海の向こうに伸びる。
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