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最後の市民科学者

 サイエンティストかマン・オブ・サイエンスかという議論は、今の時代にこそ重要性を増している。

 現代は全員がサイエンティスト、つまり職業として科学をやっている。職業科学者は仲間うちだけで出世が決まる。論文を書いてもそれを評価するのは仲間うちの人間ばかり。すなわち科学者は社会の評価を必要としない職業であり、それだけ科学者は社会から隔絶し、社会とのコミュニケーションを必要としないことになる。

 こうした状況が大きな危険をはらんでいることは、福島第一原子力発電所の事故が起こった時にテレビで原発の安全性ばかりを力説した原子力村の「科学者」たちを見れば明らかだ。科学が社会にとって必要かつ重要なことを認めてもらうには、科学者が社会と有機的な関係を築くしかない。

 そのときに重要なのは、社会の側にマン・オブ・サイエンスがいることだ。マン・オブ・サイエンスをぼくは「市民科学者」と訳している。職業科学者と市民科学者が向き合い議論して初めて科学は一人前になれる。

 ぼくは市民科学者になると決めた人間であり、拙著『死ぬまでに学びたい5つの物理学』(筑摩選書)はもっと世の中に市民科学者をつくろうと呼びかけるために書いた本だった。

 それは「科学者がモンスターにならないように市民が監視しなければいけない」というシビリアン・コントロールの発想とは根本的に異なる。それでは科学が軍事のような存在になり、土壌の下をはいずりながら「知の創造」を行なおうとする科学者の営みを市民がおもんぱかることがなくなって、お互いの共鳴場が築けない。そこに科学の進化はなくなる。

 自殺者まで出した理化学研究所のSTAP細胞問題も、理研にもジャーナリズムにも市民科学者がおらず、職業科学者の活動を共鳴的に捉えながら議論を交わす場がなかったことに起因するのではないか。マスメディアは結局、小保方晴子さんの人格を無視してあげつらうだけで、結果的に真実を闇に葬ってしまった。

 20世紀は科学が産業を生み出すエンジンになると同時に、科学が社会と幸せな関係を築けなくなった時代でもあった。一方、ボルツマンの時代は明らかに市民と科学がまだ共鳴的な関係にあった。哲学者と物理学者が白熱の議論を交わしていたのだから。その意味でボルツマンは最後のマン・オブ・サイエンスだったといえよう。

(構成は、片岡 義博=フリー編集者)