PR

 ほかにも、グランスからアプリに切り替えるとしばらく画面が「iPhoneにアクセス中」と言わんばかりのグルグル表示になったり、「グランス」に登録できないアプリを立ち上げるには一手間かかったり、あげつらいたいことはいくつもある。切りがないのでやめておくが、要はここで手間取るようではApple Watchを使う意味がないのである。結局、表示される内容は近くにあるiPhoneから来るのであって、Watchでまごつくくらいなら、iPhoneを取り出した方がずっと早いのだ。巷に溢れるレビュー記事には、「iPhoneを見る回数が減った」などと書かれているが、自分には全く実感がない。

 慣れの問題かと思っていたが、どうやらそうでもないようだ。どちらかと言えば、使わない状態の方に馴染んでしまった。散々使い倒したiPodやiPhoneとの違いを考えると、底の浅さに行き着く気がする。自分の音楽ライブラリーを丸ごとポケットに入れたiPodや、世界中のWebサイトに手元からアクセスできたiPhoneは、ずっと触っていても尽きない楽しみがあった。Apple Watchは少しいじっただけで、すぐ限界にぶつかってしまう。奥深いデジタルの世界に、囲いが設けられた感覚なのである。

 ちょっと筆が走りすぎたか。世間の反響を冷静に見極めようと、改めてネットで感想を探してみた。絶賛の嵐である。やはり自分がおかしいのだろうか。日経新聞の受け売りだが、丸谷才一氏の小説に「腕時計は市民社会における手錠である」という言葉が出てくるそうだ。ひょっとすると、すっかり馴染んだはずのサラリーマン生活に耐え切れなくなった己の精神が、Apple Watchへの無関心という形で悲鳴を漏らしているのであろうか。もちろん「イージーライダー」ばりに腕時計を捨てて、見知らぬ荒野へ踏み出す勇気など、これっぽっちも持ちあわせていないのだが。