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 プランクの家を見つけてからメルケル通りを散策していると、プランクの家の3軒隣(メルケル通り18番地)に偶然にもハイゼンベルクが住んでいた自宅があった。1947年から1958年まで住んでいた、と書いてある。この間1956年に、日本の素粒子物理学者・西島和彦(1926~2009年)はこの地を訪れハイゼンベルクに師事した。

ハイゼンベルクが、戦後イギリスの収容所を出所して1958年までゲッティンゲンに住んでいたころの家。マックス・プランクの家の3軒隣。
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 2人の自宅に行き当たるのは幸運だった。でも「自分はプランクの家を見るため日本からやって来たんだ」とぼくが熱弁をふるったことに地元の人が応えてくれたことにもよると思う。相手は感激し、真剣になって協力してくれる。想像してほしい。例えば盛岡に突然ドイツ人が現れて「宮沢賢治の家を探しに来た」と言われたら、やはりぼくらも一生懸命お手伝いするだろう。

 プランクばかりかハイゼンベルクの家まで見つけた喜びを、最初に教えてくれたインフォメーションの女性に教えなくてはと、少年のような気分で報告しに行った。「聞いて聞いて、見つけたよ」と彼女に声をかけたら、「今こっちは忙しいんだから」と言わんばかりに邪険に扱われ肩透かしにあった。

 それにしても、こうしてプレートを掲げて自宅を残しているということは、行政なり住民なりがそれだけ彼ら科学者たちを大事にしているということの表れだ。

 かたや日本はどうか。ぼくは高校時代、存命中の朝永振一郎(1906~1979年)の自宅を友だちと一緒に訪ねたことがある。東京・武蔵境の南口の住宅街に建つこじんまりした日本家屋に住まわれていて、ぼくたちは尊敬する物理学者の住まいを探し当て、なぜかピンポンダッシュした。とても思い入れのある建物だったけれど、残念なことに朝永没後にさっさと取り壊されてしまった。