「不確定性原理」を導き出す

ハイゼンベルクの業績については著書『死ぬまでに学びたい5つの物理学』(筑摩選書)も参照。

 物理学者にとってハイゼンベルクは光り輝く憧れの存在といっていい。アルバート・アインシュタイン(Albert Einstein、1879~1955年)の光量子論に代表される前期量子論は、原子構造や発光スペクトルの解明には一定の成果を上げたものの、量子力学的な世界を体系的に記述する枠組みを与えるものではなかった。

 ハイゼンベルクは新しい量子力学の理論の定式化を試みて1925年、運動量や位置などの物理量を行列によって表現したハイゼンベルク方程式を発見する。世界で初めて人類が量子力学を誕生させた瞬間だった。これは、その約半年後に誕生し、前回紹介したシュレーディンガー方程式と数学的には同等であることが後に証明された。

 ヘルゴランドで、ある一瞬に、エネルギーが時間的に一定不変であるということが、インスピレーションのようにひらめいたのである。かなり夜更けのことであった。それから、私は苦労して計算した。すると、合っていた。私は岩山にのぼり、日の出を眺めた。そして幸福であった。(『ハイゼンベルクの思想と生涯』、アーミン・ヘルマン著、山崎和夫、内藤道夫訳、講談社、1977年)

 1925年の初夏、北海の孤島ヘルゴラントにこもって量子力学理論の定式化を試み、ついにそこに行き着いたときのことを、彼はそう記している。「そして幸福であった」という独白のもつ美しく清らかな響きは、いつもぼくの胸を打つ。

 さらに1927年に彼は、量子力学の理論的帰結として、「ある粒子の位置と運動量を同時に正確に知ることは原理的に不可能である」という「不確定性原理」を導き出した。それは、ミクロの世界では粒子の位置や運動量はもともと不確定で決まっておらず、観測された時点で初めて位置や運動量が決まるという驚くべき法則の発見だった。

 物質に関する不確定な世界観に対して、量子論の確立に寄与したマックス・プランク(Max Planck、1858~1947年)、アインシュタイン、シュレーディンガーたちはこぞって抵抗を示したものの、現在に至るまで不確定性原理を伴う量子力学は世界を支配し、半導体などハイテクの基礎となっている。要するにハイゼンベルクは現代社会を支える世界観と技術の礎をつくったのである。

 日本の物理学界とも無縁ではない。戦前は朝永振一郎(1906~1979年)がライプチヒ留学時代、ハイゼンベルクの研究グループで原子核物理学や量子場理論を学び、戦後はハイゼンベルクが所長を務めるゲッティンゲンのマックス・プランク物理学研究所で西島和彦(1926~2009年)が師事した。