抹消されるナチスの痕跡

 ところがハイゼンベルクの評価は、ナチス政権下で原爆開発チームの責任者に就いたことで大きく揺らいだ。彼自身は、むしろナチスの原爆開発の要請に応えず、アドルフ・ヒトラーに原爆を使わせないようにした。しかし世間(特にユダヤ人)からはナチスの手先とみなされて、戦後は原爆開発という負の烙印を背負わされた。

 科学上の業績からすれば、ハイゼンベルクは彼ひとりのための墓に葬られるべきであり、墓碑銘として象徴的な数式を記すなら不確定性原理を表す数式を刻むべきだろう。しかし世間がそれを許さなかったことが、両親の墓に身を潜めるように記された名前と肩書きからうかがえる。

 さらに驚いたのは、ハイゼンベルクが学び、最後に教鞭を執ったミュンヘン大学でも、その痕跡が何も残されていないことだった。石像も記念碑も写真もない。悲しかった。ナチスのイメージが少しでも残るものは、ことごとく抹消するこの国の徹底した態度を感じた。

ミュンヘン大学(ルードヴィッヒ・マクシミリアン大学)の構内。ハイゼンベルクはここを卒業し、そして晩年、ここで教鞭を執った。
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 けれども、ハイゼンベルクの墓の周りは手入れされた植栽ときれいな花々で彩られていた。きっと誰かが弔っているに違いない。周りの土はふかふかしていた。ぼくはいつものように人さし指を差し込んで、ひとときを過ごした。