ウラン・クラブ

 「あなたは、ナチス・ドイツの原爆開発にどう関わったのですか」。そう何度も墓に問いかけてみた。ナチス・ドイツの原爆開発チームを通称「ウラン・クラブ」という。ウランの核分裂反応を発見したオットー・ハーン(Otto Hahn、1879~1968年)を筆頭に、1942年にカイザー・ヴィルヘルム物理学研究所の所長に任命されたハイゼンベルクもその一員である。

 しかし、ハイゼンベルクは原爆が実際にできるかどうかについて、全く懐疑的だった。「ロンドンを壊滅するにはどの程度の大きさの爆弾があればよいか」とのドイツ軍の問いに「ほぼパイナップルくらいのものでしょう」と答えながらも、実際に核分裂の連鎖反応を起こすことのできるウラン235は、天然ウランの中に0.7%程度しか存在しないために、純粋なウラン235だけを取り出すことなど技術的に不可能だと考えていた。

 ただし、たとえウラン235の濃縮度が低くても、熱機関(エンジン)だったら作れるのではないかと彼は考えていた。原子炉である。実際、1942年にライプチヒ大学のハイゼンベルクの研究所は原子炉を作っていて、その原子炉が水素爆発を起こしたのだ。このニュースに尾ひれがついてアメリカに伝わり、「ドイツのハイゼンベルクたちが原爆を作ろうとしている」という強迫観念となった。

 とはいえ、当のハイゼンベルクは「核分裂を発電に使うのは可能でも、爆弾は不可能だ」と最後まで考えていた。だからこそ、イギリス軍に捕まってファーム・ホールと呼ばれる収容所で広島と長崎への原爆投下のニュースを聞いた時、「そんなことは不可能だ」と叫び、本当に作ってしまったアメリカのロバート・オッペンハイマー(Robert Oppenheimer、1904~1967年)を、強く批判した。

 『なぜ、ナチスは原爆製造に失敗したか』(トマス・パワーズ著、鈴木主税訳、福武書店、1994年)の下巻397ページに、興味深い記述がある。1948年のニューヨーク・タイムズ紙によるインタビューに応じて、ハイゼンベルクが語ったくだりだ。

 指導的な科学者のほとんどは、彼らの人間としての品性ゆえに、全体主義を嫌っていたと言ってもよいのではないかと思います。しかし、祖国を愛するものとして、政府のために仕事をすることを要求されれば、それを断ることはできませんでした……幸いなことに、彼らは倫理的な決断を下さずにすみました。しかもそれは、彼らも陸軍も、戦時中に原爆を製造することがまったく不可能だという点で意見が一致していたのです。

 ここで「彼ら」とは、自分たちドイツの科学者のことで、「倫理的な決断」とは、原爆を作って何十万人という人間を殺し尽くすことである。ハイゼンベルクは、原爆を作れないという自分の「考え違い」のおかげでナチスの原爆開発を結果的に妨げたことを、「良かった」と思っていたのである。