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 日経ビズテック編集部は「技術経営メール」と呼ぶメールマガジンを発行している。名称を「ビズテック・メール」にしないのかと聞かれると「色々な理由でこうしています」としか説明できない。ブランドの取り扱いは本当に難しい。

 編集部の気持ちはこうである。「ビステックとは、テクノロジーによりビジネスを創造すること。つまりイノベーションを指す。これを強引に日本語に訳すと技術経営である」。自分で書いていて何かしっくりこないが、とにかくそういうことにしている。本来、技術経営とは「MOT(マネジメント・オブ・テクノロジー)」の略なのだが、編集部は「イノベーションの推進がMOT」ととらえている。

 技術経営メールの特徴は「異・双・短」である。新聞や一般雑誌などには出てこない異論極論をなるべく掲載する。せっかく電子メールという媒体を使う以上、読者と双方向のやり取りを心がける。おそらく読者は複数のメールマガジンを購読されているだろうから、技術経営メールの文章は極力短くする、ということだ。

 昨日7月5日、「テクノロジーの日本語訳は?」という短文を掲載した技術経営メールを配信した。この短文は異論極論というものではないが、読者から感想のメールをいただいたので、今回はこのテーマについて書いてみる。

 まず筆者が技術経営メールに掲載した短文を再録する。


 7月4日の晩、日経ビズテックの寄稿者と打ち合わせ中、次のような会話をした。
「原稿に『科学』とありますが『技術』も入れてもらえませんか。ビズテックですし」
「科学技術と言うでしょう。だから技術も含めたつもりですが」
「いえ、科学と技術はまったく別物です。科学は自然界の法則を見つけることです。星空を見て、なぜあのように星が動くのか、それを解明するのが科学です」
「なるほど天文学ですね」
「ここにコップがあります。これをテーブルから押し出すと下に落ちます」
「なぜ物は下に落ちるか、それを考えるのが物理学というわけですか」
「一方、技術とは、人間の都合のいいように自然界を改変することです。したがって人間の生活を改善するものの、行き過ぎると自然を破壊しかねません。技術は、科学が見つけた法則をよく利用しますが、自然との関わり方が違います」
「定義は分かりましたが、そうなると『技術』という訳語が適切かどうか疑問ですね。技術というと、職人とか巧みの技を連想します」
「確かに漢字の意味を考えるとそうなりますね。秘伝を意味する『テクネ』に、体系を示す『ロジー』を付加して作った言葉が『テクノロジー』だそうです。これはピーター・ドラッカー氏の本の受け売りですが」
「原稿の表記は『テクノロジー』としましょう。『技術』はしっくりきません」

 7月5日の夕方、以上の短文を配信したところ、5日の深夜、読者から電子メールを頂戴した。ご自分のブログをお持ちの方で、ブログの2月16日付記述に本テーマに関連する内容がある。
 さて筆者宛の電子メールを紹介する。文の一部は修整した。


 今週の技術経営メール第14号を読んで、どうしても一言言わなくてはと思い、メールさせて頂きます。
 問題は科学と技術の件です。日本のMOT遅れの最大の病巣は、元来ありえない言葉“科学技術”を政府までが使用してしまっている点にある、と捉えています。何時から科学技術という言葉が使われ始めたか判りませんが。

 確かに科学と技術はまったく別のもので科学は科学知と言いますが、技術は生活知に分類されます。生活知である技術は欧米でも科学とはっきり別のものとして認識されており、技術者は科学者ではないと認識されています。

 ところが日本で何人かの有名大学の先生とお話ししてみると、技術を科学技術と誤認され、生活に役立つ、すなわち産業界へ貢献するという取り組みより、科学者としての業績に関心をお持ちの方がおられます。工学部の教授でありながら科学者の心算なのです。こういう教授に指導された学生は、失礼ながら、社会に出る前に最悪の洗脳を大学で受けているといわざるをえません。大学院も同様です。産学連携がなかなかうまくいかない原因の一つはここにあります。

 科学と技術をはっきり分ける。この意識改革が日本の技術者に必要なのです。以前勤めていた会社の研究者のうち何人かが、肩書きの英文表記をScientistとしており、わたしは彼らを怒鳴りつけたことがありました。

 筆者は、言葉をすべからく厳密に使うべし、と考えるので、科学と技術を分けることは重要と思う。もっともこのメールに出てくる研究者の人は、特段の考えは無かったのであろうから、怒鳴らなくてもよいような気もするが、一事が万事ということもある。企業に所属していながら、象牙の塔にいるつもりで仕事をされたら、経営陣は困るだろう。

イラスト◎仲森智博
 ここで辞書を引いてみることにする。広辞苑の第三版である。「技術」はこうなっている。

 (1)物事をたくみに行うわざ。技巧。技芸。(2)科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に利用するわざ。

 2番目の定義がテクノロジーを指している。日本においては1と2の混同があるように思う。「科学」を引いてみる。

 (1)世界の一部分を対象領域とする経験的に論証できる系統的な合理的認識。研究の対象または方法によって種々に分類される。(2)狭義では自然科学と同義。

 ちなみに広辞苑には「科学技術庁」はあったが、「科学技術」という言葉は載っていない。

 次に、インターネットの検索エンジンに「科学技術」と入れてみると、548万件が該当し、筆頭には「科学技術振興機構」のWebサイトが出てきた。少し考えて「科学技術」と「語源」を組み合わせて検索すると、「『科学』と『技術』、『科学技術』について」というページが筆頭に出てきた。これは「21世紀の社会と科学技術を考える懇談会」のWebの中にある。このページを読むと、科学技術という言い方がなぜ出てきたかが分かる。「科学」が「科挙之学」から来ているということなど、筆者は知らなかった。

 同ページには色々参考になることが載っている。例えば、「科学技術基本法」において、「科学技術とは、『科学に裏打ちされた技術』のことではなく『科学及び技術』の総体を意味する」そうである。ちなみに科学技術振興機構の英語名称はJapan Science and Technology Agency となっている。

 次のような一文もこのページに出ている。

 「総じて日本においては、科学と技術(工学)の区別については、比較的柔軟に受け止めてきたものと考えられる」

 本来は違うものを混合してしまうのは、日本のお家芸である。それは日本の強みであり、弱みである。様々な専門家が交流できるようになれば強みとなるし、企業の技術者が「自分は科学者なのだから、金儲けではなく真理を追及するのだ」と思いこんでしまったら、弱みとなる。

 さて、科学と技術の違いと並んでもう一つの問題がある。テクノロジーを技術と訳してよいか、ということだ。これに関しては稿を改めて考えてみたい。

●コラム名を「さよなら技術馬鹿」とした理由(トップ・ページへ)