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 「現在日本の西洋式偽文明が(中略)無味拙劣なるものと感じられる(後略)」

 この厳しい一文は、永井荷風の『日和下駄』に出てくる。荷風は、明治大正昭和の三代にまたがって活躍した文学者だが、日本の近代化に背を向け続けた。平成の我々は、荷風の時代よりさらに近代化・西洋化が進展した社会に住んでおり、そのことに特段の疑いを持たない。しかし時には、荷風の指摘に耳を傾けてもよいだろう。

 日和下駄は、『荷風随筆集(上)』(岩波文庫)に収められている随筆で、『一名 東京散策記』という副題が付いている。副題の通り、荷風は東京のあちこちを散歩して感じたことを綴っている。荷風は下駄を履き、晴れた日でも蝙蝠傘を持って、徹底的に歩き回った。なぜ、ひたすら散歩をするのか。その理由を荷風はこう書く。

 「今日東京市中の散歩は私の身に取っては生まれてから今日に至る過去の生涯に対する追憶の道を辿るに外ならない。(中略)およそ近世の文学に現れた荒廃の詩情を味おうとしたら埃及伊太利(エジプトイタリー)に赴かずとも現在の東京を歩むほど無惨にも傷ましい思をさせる処はあるまい」

 荷風は東京を散策しつつ、江戸時代から残っている日本固有の美を見つけては、見事な名文で描写する。日本固有の美とは、寺であり、淫祠であり、雑草であり、路地や坂である。その一方で、明治時代から始まった日本の伝統を破壊する動きを否定し、馬鹿にする。再三出てくる批判の例をいくつか紹介する。

イラスト◎仲森智博
 「当世人の趣味は大抵日比谷公園の老樹に電気燈を点じて綺麗綺麗と叫ぶ類のもので、聖夜に月光を賞し、春風に梅花を愛するが如く、風土固有の自然美を敬愛する風雅の習慣今は全く地を払ってしまった」

 「古社寺保存を名とする修繕の請負工事などと来ては、これ全く破壊の暴挙に類する」

 「当路の役人ほど馬鹿な事を考える人間はない。東京なる都市の体裁、日本なる国家の体面に関するものを挙げたなら貧民窟の取払いよりも先ず市中諸処に立つ銅像の取除を急ぐが妥当であろう」。

 もっとも荷風は本気で銅像を片づけろと言っているわけではない。江戸時代の町並みに戻せとか、近代化を止めよ、とも言わない。もう元に戻せないことをよく知っていたからである。そのかわり、こんな風に書く。

 「私は日本人が日本の国土に生ずる特有の植物に対して最少し深厚なる愛情を持っていたなら、たとえ西洋文明を模倣するにしても今日の如く故国の風景と建築とを毀損せずに済んだであろうと思っている」

 「われらの意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力むる事を以て第一の義務なりと考うるのである」

 ここまで引用した文は、荷風が書いた通りではない。岩波文庫に収めるときに、漢字や仮名づかいを略字と現代仮名づかいに直されているからだ。純化洗練とは正反対の話であり、荷風が生きていたら、呆れ果てたであろうが、すでにそれを予見したような一文もある。同じ随筆集に入っている『葛飾土産』という随筆の中の一節である。

 「祖国の自然がその国に生れた人たちから飽かれるようになるのも、これを要するに、運命の為すところだと見ねばなるまい。わたくしは何物にも命数があると思っている。(中略)一国の伝統にして戦争によって終局を告げたものも、仮名づかいの変化の如きを初めとして、その例を挙げたら二、三に止まらぬであろう」

新時代の企業への不安

 荷風は、過去の建造物や自然の破壊に止まらず、テクノロジーについても仮借ない批判を浴びせている。

 「およそ近世人の喜び迎えて『便利』と呼ぶものほど意味なきものはない。東京の書生がアメリカ人の如く万年筆を便利として利用し始めて以来文学に科学にどれほどの進歩が見られたであろう。電車と自動車とは東京市民をして能く時間の節倹を実施させているのであろうか」

 万年筆をパソコン、電車と自動車をインターネットに置き換えて、この疑問文を読み直してみると、色々なことが考えられる。また、次のような一文がある。なぜだか分からないが、筆者が非常に好きな名調子の一節である。

 「私は新開町の借家の門口によく何々商会だの何々事務所なぞという木札のれいれいしく下げてあるのを見ると、何と言う事もなく新時代のかかる企業に対して不安の念を起こすと共に、その首謀者の人物についても甚しく危険を感ずるのである」

 電車や自動車、新時代の企業とその首謀者を嫌悪する荷風は「現代の生活は亜米利加(アメリカ)風の努力主義を以てせざれば食えないと極ったものでもない」と言い放つ。実際、彼はアメリカ風の努力などせず、自動車が入ってこない裏道を好んで歩いた。そして次のような、一種の居直りというか諦めを表明する。

 「何気なく裏町を通りかかって小娘の弾く三味線に感動するようでは、私は到底世界の新しい思想を迎える事は出来まい。それと共にまたこの江戸の音局をばれいれいしく電気燈の下で演奏せしめる世俗一般の風潮にも伴って行く事は出来まい」

 荷風は若いころ、アメリカやフランスに住み、現地の企業に就職までしている。つまり、欧米のことを同時代人の誰よりもよく理解していた。その彼がここまで日本の近代化・西洋化を嫌悪したのは、我が国の西欧模倣のやり方があまりにも軽佻浮薄だったからである。テクノロジーに関わる人は、技術者であろうと、利用者であろうと、荷風の苦い指摘を受け止める必要があろう。今回、荷風を本欄で紹介したいと考えた所以である。最後に、同じ随筆集に収録された『向嶋』という短文から引用する。

 「わが旧時代の芸文はいずれか支那の模倣に非らざるはない。そはあたかも大正昭和の文化全般の西洋におけるものと異なるところがない。我国の文化は今も昔と同じく他国文化の仮借に外ならないのである。唯仔細に研究し来って今と昔との間にやや差異があるが如く思われるのは、仮借の方法と模倣の精神とに関して、一はあくまで真率であり、一は甚しく軽薄である。一は能く他国の文化を咀嚼玩味して自己薬籠中の物となしたるに反して、一は徒に新奇を迎うるにのみ急しく全く己れを省る遑(いとま)なきことである」

●コラム名を「さよなら技術馬鹿」とした理由(トップ・ページへ)