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 谷島編集委員が珍しく夏休みをとったため、代理でコラムを書かせていただく。

 ほんの出来心で本欄に挿絵を書き始めた。それでやめておけばよいのに四コマ漫画まで描き始めた。こうなると、結構まとまった作業になるのだが、仕事ではない。イラスト料をもらっていないからである。つまり、挿絵の描き手ではあるが、プロの挿絵作家ではない。

 こんなわがままが許されるのは、ひとえにTech-On!の原田編集長のお陰である。実は、彼が編集長に就任した際、お祝いと称して、それなりに高価なイタメシを奢った。もちろんポケットマネーで。その効果がいまだに持続しているのではないかと思っている。恩は売っておくものだ。

 こう書くと、いい加減な心構えで描いていると思われるかもしれない。それは心外である。本人は至って真剣なのだから。それなりに時間をかけて考え、最近は下書きまでするようになった。中でもこだわっているのは、「せりふ」というか「コピー」というか、文字の部分である。

 この、絵と文章を組み合わせる方法は、日本画でいう「画賛」という様式を踏まえたものである。そう見えないかもしれないが、本人は大真面目にそのつもりだ。そもそも「画賛」は、画家の絵に高僧などが後からその画題にちなんだ詩などを書き足したものだった。詩の部分が「賛」である。江戸時代くらいから、描き手本人が賛を入れることが一般的になった。いわゆる自画自賛である。

 こうして、絵と文が一体となって一つのテーマを表現するという、世界でも珍しい「画賛」という様式が誕生した。それは今日に至るまで生き続けている。近世で特に私が好きなのは、中川一政画伯の画賛作品だ。絵もいい。書もいい。だが、それだけではない。賛が実に含蓄深いのである。それは例えば論語や詩経の一節であり、禅書の一節であり、ラスプーチンの言葉である。

 その一つをぜひ紹介させていただきたい。私は、これを読んだとき激しく感動した。なぜかわからないが、とにかく感動した。だから紹介したいのである。典型的な押し売りになってしまうが、「永い人生、たまには押し売りされてみるのもいいものだ」と、大きな気持ちをもってお許しいただきたい。それでは引用する。

秦の穆公が臣の伯楽に云った
「汝は老年である 後継者を考へてをるか」
伯楽は答へた
「九方皐といふ者がゐます」
穆公は早速その男を召して諸国に名馬を探しに遣した
九方皐は三月たって帰ってきた
「沙丘といふ処で見つけました 牝で黄色い馬でした」
そこで使者をやって連れて来させた それが雄で青色であった
穆公は怒って伯楽を呼びつけた
「汝が推薦した男は馬の雄牝も毛色もわからない
それで馬の見立てなど出来ようがない」
伯楽は嘆息して云った
「あの男はそこまでになりましたか
見るところを見 見ない処は見ないのです」
果たして千里を走る名馬であった

 実際の作品に書かれた原文のまま、掲載した。出典は「列子」という。