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日立製作所が開発した新型コンピューター。2枚のプロセッサー「Ising chip」を搭載している。
日立製作所が開発した新型コンピューター。2枚のプロセッサー「Ising chip」を搭載している。
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Ising chipのパッケージ群(下)と、1パッケージ内に収められているIsing chipのダイ群(右上)
Ising chipのパッケージ群(下)と、1パッケージ内に収められているIsing chipのダイ群(右上)
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Ising chipのダイの拡大写真
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開発した新型コンピューターで、組み合わせ最適化問題の1つ「Max-Cut問題」を解くデモ。画面右の赤色と青色のまだら模様は、Ising chipの各素子の初期値を表している。
開発した新型コンピューターで、組み合わせ最適化問題の1つ「Max-Cut問題」を解くデモ。画面右の赤色と青色のまだら模様は、Ising chipの各素子の初期値を表している。
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上の問題を解いた後の様子。答えが「HITACHI」になるよう問題を設定してある。一部の字が崩れているのは、実際の解に近い局所最適解にはまってしまっているため。
上の問題を解いた後の様子。答えが「HITACHI」になるよう問題を設定してある。一部の字が崩れているのは、実際の解に近い局所最適解にはまってしまっているため。
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イジング模型の例(左)と、それを用いて最適解を探す様子(右)。(図:日立製作所)
イジング模型の例(左)と、それを用いて最適解を探す様子(右)。(図:日立製作所)
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本当のイジング模型(左)と、それを日立製作所がSRAM技術で再現した模型(右)(図:日立製作所)
本当のイジング模型(左)と、それを日立製作所がSRAM技術で再現した模型(右)(図:日立製作所)
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CMOSアニーリングの手順 (図:日立製作所)
CMOSアニーリングの手順 (図:日立製作所)
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 日立製作所が、「量子コンピューターに匹敵する」(同社)非ノイマン型コンピューターのプロセッサーを開発した。米国サンフランシスコで開催中の半導体回路技術の国際学会「2015 IEEE International Solid-State Circuits Conference(ISSCC)」(2015年2月22日~26日)で技術的詳細を発表する(講演番号:24.3)。

 動作原理は、カナダD-Wave Systems社が発売した商用の量子コンピューターに似る(関連記事)。ただし、D-Wave社のシステムが極低温でしかも非常に雑音に弱い超電導素子を用いるのに対して、日立製作所のシステムは、室温で動作し、しかも既存の“枯れた”半導体技術で製造できる。このため、システムの大規模化が容易だ。日立製作所は、D-Wave社が2015年に製品化予定の量子コンピューターの約10倍の規模のシステムを既に試作し、その動作を実演した。

 この新型コンピューターは、既存のノイマン型コンピューターを置き換えるものではなく、ノイマン型コンピューターが苦手とする分野をカバーする位置付けになる。つまり補完だ。ノイマン型コンピューターでは解くのに非常に時間または電力を費やす問題の近似解を、短時間かつ低電力で得られる。日立製作所は、こうした問題が、ビッグデータやIoT(internet of things)を利用した物流システムなどの社会的な課題を解決する際に今後頻繁に出現すると予測する。同社は、そうした社会的課題の解決に今回の技術を応用していく方針である。「具体的な用途はまだ決まっていないが、2~3年以内には実用化できるシステムを開発する」(同社)という。

膨大な組み合わせの中の最適解を“自然”が一瞬で選択

 新しいコンピューターの動作原理は、「イジング(Ising)模型」を用いた物理実験である。イジング模型は、微小な棒磁石といえるスピンが3次元的に配列した物理学上の模型。同社は、この模型を半導体メモリーに用いられるSRAM(static random access memory)技術で再現し、それを用いて、「組み合わせ最適化問題」の一部を解くことに成功した。

 組み合わせ最適化問題とは、複数個の要素の選択を幾つかの制限の下に最適化する問題である。我々は日常生活や社会における経済活動の中で、実は頻繁にこの問題に直面している。例えば、そのうちの1つである「ナップサック問題」は、一定容量のナップサックに形や価格が異なる菓子を入れる際、どのように詰め込めば“収穫”を最大化できるかといった問題。また、セールスマンが複数の顧客をどのように訪問すれば、最短の時間や最小の費用で済むかといった「巡回セールスマン問題」も組み合わせ最適化問題の1つである。

 一見簡単そうだが、こうした問題で少し問題が複雑になると、最新のスーパーコンピューターをもってしても最適な選択を知ることが難しくなる。選択可能な要素の数が少し増えただけで、取り得る組み合わせの数が爆発的に増えるからだ。「要素の数が100個の場合、組み合わせの数は、2100個=1.27×1030個=およそ1兆の1兆倍の100万倍個になる」(日立製作所)。このため、既存のノイマン型コンピューターでは、計算に時間が掛かり過ぎて役に立たない懸念が出てくる。

 この組み合わせ最適化問題を、要素の数が増えても効率的に解ける可能性があるとされているのがイジング模型である。イジング模型の各スピンは、「上向き」か「下向き」かの2通りの状態をとり得る。各スピンが上向きか下向きかでイジング模型全体のエネルギーが決まってくる。もっとも単純なイジングモデルとして2つのスピンの配列を考えると、スピン同士が互いに反対の向きになっている場合がエネルギーが低く、同じ向きになっている場合はエネルギーが高い。

 より複雑な模型になると、各スピンは上下および前後左右方向にある周囲のスピンの影響を受けるため、1つのスピンの向きを変えると、残りのスピンの向きも変わり、模型全体のエネルギーも変わる。幾つかの条件の下で模型全体のエネルギーを最小にする各スピンの向きを計算で知る問題は、多くの組み合わせ最適化問題と等価になることが知られている。

 理想的なイジング模型の場合、最適なスピンの向きは人間が計算しなくても、自然、つまり物理法則が教えてくれる。自然は常に、システムのエネルギーを最小にしようとするからである。このため、解きたい組み合わせ最適化問題をイジング模型の問題に翻訳し、一種の物理実験でそのイジング模型の最適解を得て、その結果を解きたい問題に再翻訳するシステムを構築できれば、それが組み合わせ最適化問題に向けた新しいコンピューターとなる。D-Wave社の量子コンピューターも、イジング模型のスピンの動作を超電導素子で再現して組み合わせ最適化問題を解いている。

 今回、日立製作所がスピンを再現するのに用いたのは、Siチップ上に実装したSRAMの技術で作製した素子である。スピンが上向きと下向きの2状態を取るのに対して、SRAM技術の素子では「0」と「1」の値を取る。日立製作所は、イジング模型としてこの素子を80×128個のアレー状に配列し、さらにそれを2層にした。スピンの代わりの素子は計約2万個である。65nmプロセスという既に枯れた技術で実装し、室温で動作するという。

 素子間の相互作用の強さは、スピンの代わりの素子とは別に実装した20万個超のSRAMの値で表現する。問題を解く際は、各素子について、近傍の素子からの相互作用を足し合わせて各素子のエネルギーを計算し、値が「0」か「1」のいずれになるかを決める。この手続きをすべての素子に対して実施し、さらにそれを繰り返す。日立製作所によれば、一定時間繰り返した最後の各スピンの向きを「解」とする。同社はいくつかの問題では、それが十分実用的な解になることを確認したという。

SAでもQAでもない「CMOSアニーリング」

 各素子のエネルギーの計算を繰り返す際には、乱数を基にした「雑音」を相互作用の足し合わせに加える。これは、いわゆる局所最適解にはまり込むのを避けるためだ。既存のノイマン型コンピューターでも、組み合わせ最適化問題の近似解を得る方法として、「焼きなまし法(Simulated Annealing:SA)」と呼ばれる手法がある。SAでは局所最適解へのはまり込みを避ける方法として乱数を利用する。この点は、日立製作所の手法に近い。

 ただし、SAではシステム全体のエネルギー、または温度に相当する量を計算、または与えながらパラメーターを少しずつ変えて最適解を探していく。一方、日立製作所の手法では、個々の演算はスピン代わりの各素子のエネルギーを見積もって、素子の値を決める作業を繰り返すだけである。システム全体のエネルギーは計算を終えてから1度だけ計算する。

 ちなみにD-Wave社は、同社の量子コンピューターにおいて、乱数ではなく、量子力学のトンネル効果を利用した「Quantum Annealing(QA)」という手法で、局所最適解へのはまり込みを回避していると主張する。

 日立製作所は今回、同社の独自の手法を「CMOSアニーリング」と命名した。SAでもQAでもない、CMOSプロセスで作製したSRAM技術の素子で実現するアニーリングという意味である。

量子コンピューターなんて要らない!?

 同社の今回の発表は、量子コンピューターの研究者などに大きな波紋を呼びそうだ。これまでは、D-Wave社のシステムのように、結果を短時間で得るにはイジング模型でも、「量子もつれあい状態」やトンネル効果といった量子力学的効果が必要と考えられてきた。室温で動作する半導体技術のコンピューターで、量子コンピューターと同様な結果が得られるのなら、そもそも量子コンピューターは必要なかったことになる可能性もあるからだ。