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(前回から続く)

「ぴ,Pちゃん?」

 松下電器産業 マルチメディア開発センター 情報グループ 情報第3チームの主任技師 和田浩美は,企画とデザインの担当者たちを前に,後ろにのけぞらんばかりに驚いた。松下通信工業のイメージ・キャラクターである「Pちゃん」のアニメーション画像を,携帯電話機の待ち受け画面で動かしてほしいとの申し出だった。

「いやいや,そう簡単に言いはりますけどね。私ら毎日,時間が足らへんってヒイヒイ言ってるんですよ」

 和田はここ半年,休みといえるほどの休みを取った記憶がなかった。目前に迫った正月も,元日を自宅で過ごせたら奇蹟と思えるほど,仕事は山積していた。

「ほら,かわいいでしょ。鳥です。ピーピー鳴く鳥ちゃんですわ。それとPanasonicのPで,Pちゃんやて。こりゃええわ。ほんま」

 担当者は喜色満面で,和田にPちゃんのデザイン画を差し出した。

「まぁ,そう言われると,確かに愛嬌たっぷりやけど…」

 和田が遊び心旺盛な人間であることは社内でよく知られている。つい最近も,携帯電話機の待ち受け画面にGIF画像を張るという斬新なアイデアが社内外で大好評を得たばかりだ。次はその画像を動かしてほしいというわけだ。

「和田さん,いつも言うてるやないですか。ケータイには顔が必要やって。携帯電話機を起動するたびにPちゃんが動いてれば『このケータイは松下の製品や。ほかのとは違うんやで』って強くアピールできますよ。っていうか理屈やなくて,なんか楽しいやないですか。こんなアイデア,きっと他社では出ませんわ。差をつけましょうよ」

Pちゃん
(写真:山田哲也)

「他社との差」。この言葉に和田は弱かった。一瞬にして負けん気がむくむくと頭をもたげ,スケジュールのことなどどこかへ吹き飛んでしまった。

「そやね。ブラウザも独自開発やし,ウチらはこれまで他社がやってへんことにチャレンジしてきたもんね。よし,やったるわ。きっと誰か,手伝ってくれるやろ。時間はつくるもんやし」

「誰がやるんですか」

「ほら,Pちゃんやて。どう,動かしてみたくなったやろ」

 和田は早速,開発メンバーに話を持ち掛けた。

「へぇ,ほんまかわいいですねぇ。で,誰がやるんですか。ムリムリ,僕は絶対無理ですわ。分かっとる思いますけど」

「……」

 和田は,Pちゃんのデザイン画を片手にオフィスに立ち尽くした。部屋の中には各人が必死にキーボードをたたく音だけが響き渡っていた。ただでさえスケジュールは,目も当てられないほど遅れている。今更仕事を追加できるほど,余裕のある技術者などいるはずもなかった。リーダーである和田の申し出とはいえ,できないことはできない。技術陣の反応は恐ろしく冷たかった。

「もうええわ。自分でやる」

 開発部隊を率いる立場にあるとはいえ,和田も元来は第一線のソフトウエア技術者である。業務に忙殺される昼間はダメでも,睡眠時間を削れば何とかなる。和田は聞こえよがしに宣言した。

 誰もいない深夜のオフィス。和田はねじり鉢巻きでパソコンに向かった。

「久しぶりやなぁ。自分でソース・コードを一から書くなんて」

 気が付けば,いつしかたくさんのプログラマーを社内外に抱え,人を動かしてモノを作ることが多くなっていた。和田はかつて自分がどれほどソフトウエア作りに入れ込んでいたかを,今更のように思い出した。次第に和田は時間を忘れ,プログラミングの楽しみに没頭していった。

 ――「ほら見て,Pちゃんが動いたで。私だってできるんや。みんなも,技術者の『ど根性』見せたろうやないの」

 和田は赤い目をしばたたかせ,自慢げに出来栄えを開発メンバーに見せて回った。

 和田の「ど根性」は後に業界にちょっとした波紋を広げることになる。Pちゃんを動かすために作製したGIF画像のアニメーション表示機能は,NTTドコモの眼鏡にかない,次世代機の標準機能として採用されるのだ。そんな将来を知るすべもなく,和田はひと仕事を成し遂げた満足感にひたった。

ヒロスエ
(写真:柳生貴也)

ヒロスエの手には…

 1999年1月25日。札幌のオフィスでパソコン画面を見つめた和田は,氷のように固まってしまった。画面いっぱいを占めるインターネットのニュース・サイトから目をそらすことができなかった。大写しになった写真に広末涼子の笑顔がまぶしい。片手には黒光りする携帯電話機。

 この日,東京・原宿にあるイベント・ホール「QUEST HALL」でNTTドコモは新しい携帯電話サービスを披露するプレス発表会を開催した。満を持しての発表である。「iモード」を世に知らしめる一大イベントだ。実はiモードを紹介する発表会はこれが2回目である。松永真理が自著「iモード事件」で述懐するように,1度目の発表の出来は散々だった。「会場には人の数より空席のほうが目立ち,座っている人たちの間には白々とした空気が流れている」1)

 その分,この時のイベントはNTTドコモ始まって以来の華やかさを極めた。会場は400人近い報道陣で埋め尽くされた。最前列には新聞や雑誌のカメラマンがすし詰めで陣取り,最後尾には各テレビ局のカメラがずらりと並んだ。NTTドコモのCMキャラクターの広末涼子が登場するからだ。

ヒロスエ
(写真:柳生貴也)

 早稲田大学に入学が決まった直後の彼女を目当てに,ワイドショーや週刊誌の記者までが押し寄せた。一般の関心を引き付けたい――こう考えたNTTドコモの榎啓一や松永真理の策略はまんまと成功した。広末を前面に押し出して親しみやすいイメージを作り出した。

「……」

 会場の熱気を伝える記事を目にして,和田は悔しさに唇をかみ締めずにはいられなかった。写真の中の広末涼子が手にした携帯電話機は,サービス開始に唯一間に合った端末だった。ニュース・サイトによれば,2月22日に発売されるという,富士通製の「F501i」である。この日の会見では,NECと三菱電機も試作機を展示したらしい。しかし記事のどこを探しても「松下」の2文字は出てこない。試作機どころか,社名すら会見で触れられることがなかった。

 それもそのはずだ。和田から見ても,自社の開発の進捗状況は,開いた口がふさがらない惨憺たるものだった。和田の周りでは,今だ取りきれぬバグに,技術者たちが悪戦苦闘していた。それどころかこの期に及んでも,さらに新しい機能の実装が進んでいた。自社で開発中のブラウザで,各種の日本語文字コードを表示できるようにしようというのである。

 NTTドコモの公式サイトで使用する文字コードは「シフトJIS」。これだけでなく,パソコン向けのWWWサイトで使われている「JIS」や「EUC」も表示できたら便利だ。和田らはサイトの文字コードを自動的に判別して対応する機能をブラウザに盛り込もうとしていた。

 当時,和田ら開発陣は,ソフトウエアのコーディングを担当する松下システムエンジニアリングの札幌支社に缶詰め状態だった。作業は毎日深夜2時過ぎまで続いた。その後は明け方5時まで開いているJR新札幌駅前の居酒屋「白木屋」か「魚民」に繰り出し,夕食をつつくかたわら再び議論に花を咲かせた。

 NTTドコモのイベントのニュースに,和田は冷水を浴びせられた気がした。連日の作業でたまった澱(おり)のような疲労が,一段と重くのしかかる。松下通信工業は,交換対抗試験の段階では他社に先駆けて一番乗りだった。NTTドコモの担当者は満面の笑みで喜んでくれた。それなのに,製品についてはいまだに発売時期を決められる状況ではない。和田はやり切れない思いで,会場の様子を映した写真を見つめ続けた。

それぞれの1月25日

 NTTドコモの発表会場にも,しきりに歯がみする人物がいた。三菱電機 通信システム統括事業部 移動通信端末事業センターで技術第一部長を務める濱村正夫である。濱村の口からため息がもれる。本当ならば,自分にとっても晴れの一日になるはずだったのに。

発表会場
(写真:柳生貴也)

 記者でごった返す場内が一瞬,漆黒の闇に包まれた。突然,スポットライトがステージ上の暗がりを丸く切り取る。榎や松永らが緊張の面持ちで壇上に登場した。まばゆいばかりのフラッシュがたかれ,榎らの顔が照り映える。

 聴衆の視線を一身に浴びて,榎はステージの中央に歩み出る。そしてテーブルを覆う布に手を掛けた。

「ではご紹介いたします。iモード対応の新しい携帯電話機です」
 司会者のひと言に合わせて,榎が布をさっと取り外した。派手な音楽とともに,F501iが姿を現した。

「ちょっと大げさ過ぎますよね」
 照れながらも榎は,うれしそうにF501iを手にした。

「デザインでは負けてない」
 濱村は腕を組んでじっとライバル製品をにらみつけた。濱村はこれまで「富士通には先を譲るな」と開発現場にげきを飛ばしてきた。その目標の達成はすんでのところで泡のように消えた。

「iモード端末の普及台数は,どのくらいになるとお考えでしょうか」
 質疑応答に入ると,記者からの鋭い質問が榎に浴びせられた。

「初年度で200万~300万くらいでしょうね。3年後には1000万件の加入を目指します」

 榎によると,この数字には全く根拠が無かったという。あらかじめ広報担当者と示し合わせた想定問答集にも無かった項目だ。当時,携帯電話の加入者数は全事業者を合わせても約4000万。いきなり榎の口から飛び出した1000万という数字に,場内がざわついたのも無理はない。突飛なサービスである上に,この時点で発売が決まっている機種はF501iしかない。ざわめく記者の中には,眉に唾をつける者も少なからずいた。

 濱村は,榎の発言がいま一つ説得力に欠けたことの責任の一端が,自分にもあることをひしひしと感じていた。本来は今日のイベントで,三菱電機製の端末も製品として紹介される予定だった。ところがソフトウエアの完成度がいま一歩及ばず,最後までNTTドコモの許可を得られなかった。濱村は,2月22日の富士通製端末の発売になるべく遅れずに製品を投入することを,自らに誓った。

「2月中の発売だけは何としても実現しなければ」
 悔しさとやるせなさを胸に,濱村は会見の様子を目に焼き付けた。

 同じく1999年1月25日。NEC 第三パーソナルC&C事業本部 モバイルコミュニケーション事業部 第二基礎開発部 技術課長の西山耕平は,相変わらず無くならないバグに,この日も気をもんでいた。イベントのニュースをチェックするどころか,他社の動きに注目している余裕すらなかった。西山の視野にあったのは,度重なる延期の末に決まった3月の納期を遵守することだけだった。

 皮肉にも当時,NECの社内では西山が率いるiモード向け携帯電話機の開発チームに対する評価が上がり始めていた。1月に入ってNTTドコモが,発売を見越してiモード対応携帯電話機の発注を始めたからだった。月に10万~20万台という単位で注文を受けてからというもの「海のものとも山のものともつかない」と酷評されていたのがウソのように,急速に期待が膨らんでいた。

 それがなおさら西山を追い詰めた。一日も早く,製品ができましたとNTTドコモに報告したい。そう力めば力むほど,現状が重く西山にのしかかった。新聞にも目を通さず,西山は仕事に没頭した。

「ウチのケータイが映ってる」

「よーし。ウチのケータイをヒロスエが持ってるぞ」

 富士通 移動通信・ワイヤレスシステム事業本部 ビジネス推進統括部ソフトウェア部担当部長(端末担当)の片岡慎二がイベントの様子を知ったのは,翌朝のテレビ番組でだった。F501iを持つ広末涼子の姿が,各局のニュースやワイドショーで放映されるのを,チャンネルを切り替えて何度も確認した。

 最初は現実味のなかった映像に,ようやく違和感が消えたころ,胸の奥底から熱いものが込み上げてきた。

 富士通が開発に参加したのは他社に大きく水をあけられた後だった。他社に遅れないように,NTTドコモに迷惑を掛けないように製品を出すことを何より優先してきた。
 それがどうだろう。富士通が間に合わせなければ,1月25日というタイミングで会見は開けなかったようだ。NTTドコモの榎は,本部長あてに感謝の電子メールまで送ってきたという。

 片岡にとって,NTTドコモの依頼に応えられただけでも十分満足だった。その上,自社の製品だけをマスコミが大きく取り上げた。ヒロスエの顔と並んだ黒い筐体の輝きは,片岡の想像をはるかに超えた極上の報奨だった。

土壇場でのトラブル

 会見直後の1999年2月。三菱電機の濱村が待ちに待った日がやって来た。NTTドコモの担当者を交えた,端末の立ち会い検査の日である。立ち会い検査で問題が無ければ,いよいよ発売の許可が下りる。準備にぬかりはない。発売はもう決まったようなものだった。

 濱村の机上の電話が突然鳴り響いた。検査のために東京に派遣した技術者からだった。相手の上ずる声の調子を聞いた瞬間,濱村の脳裏に嫌な予感が走った。

プレゼン資料

「どうした?」

 濱村は恐る恐る聞く。

「立ち会い検査,ダメでした」

 技術者は早口で濱村に報告した。20人がそれぞれ携帯電話機を持ち,一斉に電子メールを送るテストをしたところ,電子メールが戻ってきてしまう携帯電話機があったという。

「……」

 濱村は絶句した。これから不具合の原因を探し出して,ソフトウエアに修正を施す時間を考えたら,2月中の発売は絶望的だ。

 濱村は頭の中で最悪のシナリオすら描き始めてしまった。バグの発見に手間取れば,3月の発売すら危うくなるかもしれない。しかしそれだけは絶対に避けたかった。
 濱村には上司との約束があった。遡ること1年と数カ月。どうしてもiモード向け携帯電話機を開発したかった濱村は,本部長に直訴した。その時,次年度で携帯電話機を予算以上に売ってみせるから,その分を見越して開発費を出してほしいと頼み込んだのだった。3月に発売できなければ,年度内に携帯電話機を売り出すもくろみは水泡に帰す。濱村の顔が蝋人形のように青ざめた。

「もしもし,濱村ですが…」

 濱村は身も細る思いで本部長に報告の電話をかけた。激しい叱責の言葉を覚悟して。

=敬称略

参考文献
1)松永,「iモード事件」,角川書店,2000年.

―― 次回へ続く ――