「開発を進めるメーカーにとって,一つのターニング・ポイントとなる時期に来ている」─。2000年前後に市場が立ち上がり始めたDNAチップ(別掲の「休憩室1」参照)。その研究開発に携わる物質・材料研究機構 生体材料センター センター長の宮原裕二氏は,DNAチップを取り巻く現在の状況を,このように語る。
2007年から2010年にかけて,DNAチップの市場が研究用途のみならず産業用途にも広がろうとしている。これまでは,研究機関や大学などに向けた研究用途としての実用化にとどまっていた。それが今,医療の現場で診断ツールとして利用する,食品の安全性を検査する,といった産業用途への展開が進む段階に差し掛かっている注1)。この変化が,DNAチップ開発の風向きを変えることになりそうだ。
注1) 診断ツールとして利用される段階になってきた背景には,DNAの研究が進み,病気などとの因果関係が分かってきたことがある。
業界構図が一変する可能性も
研究用途を中心とするこれまでのDNAチップ市場は,米Affymetrix,Inc.や米Agilent Technologies,Inc.などの先行メーカーがほぼ独占してきた注2)。しかし,産業用途への市場展開によって,この業界構図が一変する可能性も浮上する。開発を進めるメーカーや新規参入をもくろむメーカーにとっては,大きなチャンスとなる(図1)。
注2) Affymetrix社とAgilent社が2強とされ,これにIllumina社が続く。この3社で「80~90%のシェアを占める」(ある業界関係者)。
その理由は大きく二つある。第1は,市場規模がケタ違いに拡大すること。もともと研究用途だけでは市場規模が知れている上,2000年前後に盛り上がり始めた研究熱も一段落し,最近では世界的に市場規模が横ばいで推移しているという。例えば国内市場でも,ここ数年は60億円前後にとどまるとの調査がある。しかし,市場が産業用途にも広がるとなれば,話は変わる。「これまでと2ケタ,3ケタ違う市場規模が期待できる」(複数のDNAチップ・メーカー)からだ。新たに獲得できるパイが大きく膨らむわけだ。
第2の理由は,要求される性能が変化すること。研究用途とは異なり,産業用途ではより一層の小型化や高速化,自動化,低コスト化,高い再現性,高感度といった性能が求められるようになる。ここに,従来にない新たな特徴を備えた製品による市場開拓の余地が生まれる。DNAチップに詳しい名古屋大学 総長補佐(研究推進担当) 教授の馬場嘉信氏は,「半導体や材料などの電子技術がますます必要になる」と指摘する注3)。
注3) 名古屋大学の馬場氏は,新規参入メーカーにチャンスがある理由として,産業用途向けの場合は既存の特許に抵触しない可能性が高いことも挙げる。「DNAプローブを,ある密度以上にするのは,Affymetrix社の特許になっている。研究用途では高い密度のDNAプローブも必要になるが,医療で使う場合の密度は低くてもよい」(同氏)。
危機感が国内勢の背中を押す
こうした状況に目の色を変え始めているのが,これまで米国勢に市場を独占され,じくじたる思いを抱いてきた日本メーカーである。積極的な姿勢を見せる一部の日本メーカーは,産業用途での主導権確保を目指した取り組みを活発化させている注4)。
注4) もちろん,海外メーカーが産業用途に取り組んでいないわけではない。例えば,研究用途で既に一定の市場を確保しているAgilent社は,研究用途だけでは市場が頭打ちであるため「次は診断用途に向かいたい」とする。HP社から分社したAgilent社は,プリンターのインクジェット技術を生かしたDNA チップを強みの一つとする。