産業用途の市場攻略に向けて活発化する日本メーカーの急先鋒が,東芝である。同社は,子宮頸がんの原因となるヒト・パピローマ・ウイルス(HPV)の型を判別する体外診断薬を,自社製のDNAチップを用いて開発し,2007年6月に薬事申請した注7)。同社としては,初めてのDNAチップの薬事申請事例となる。
注7) この体外診断用DNAチップは,東芝のほか,積水メディカルと東芝ホクト電子の3社が共同開発したもの。
2008年7月末時点では,まだ認可が下りていないものの,この取り組みに対する周囲の関係者の注目度は極めて高い。「認可が下り,医療現場での採用事例が出てくれば,DNAチップの産業用途への応用が加速するキッカケになるだろう」(DNAチップ開発に携わる複数の技術者)。
東芝は,これを皮切りに感染症やがん,薬の効用や副作用の診断を対象としたDNAチップの実用化を進める考え(別掲の「休憩室2」参照)。「2010年には数十億~100億円の事業に育てたい」(同社 ディスプレイ・部品材料統括 新デバイス開発センター センター長の二階堂勝氏)と鼻息が荒い。
HPVの型判別向けをはじめ,東芝が開発を進めるDNAチップは「電流検出型」という独自方式を採用する。DNAが結合したのかどうかなどを電流で検出する方式である(図3)。同社は研究用途ではなく,診断など産業用途での利用を徹底して意識した開発を進めてきた。その結果としてたどり着いたのが,この方式である注8)。

注8) 物質・材料研究機構も,電流で検出する方式のDNAチップを開発している(写真)。DNAの結合に伴う電荷密度の変化を,電界効果により検出する。同機構は2007年1月,IMECと研究協力を進めると発表した。物質・材料研究機構の材料開発技術に,IMECの半導体微細加工技術を組み合わせることが狙いである。
Affymetrix社が提供するDNAチップなど,これまで研究用途で利用されてきたのは,そのほとんどが「蛍光検出(あるいはマイクロアレイ)型」と呼ぶ方式だった。調べるDNAに蛍光標識を付与しておき,チップとの反応後にレーザを照射して蛍光の有無や位置を確認することで,結合したのかどうか,どのDNAと結合したのかなどを判別する。東芝の二階堂氏は「従来の蛍光検出型は装置が大掛かりな上,蛍光標識を付与する工程も複雑で手間が掛かる。産業用途の現場において安価に迅速に使いたいというニーズには向かない」と主張する。
これに対して電流検出型は,レーザなどの光学系が不要であるため検出部の装置構成が簡素になるという。実際,東芝が開発する検査装置は卓上に置ける大きさ(図3(a))。処理時間も反応開始から判定まで10~60分と短い。診断したその場で結果を待てる程度の時間と言えそうだ。
病院に行くと1滴の血液を採取,すぐに出てくる分析結果を基に,その場で自分の体質に合った治療方針や薬を医師が決める─。こんな医療の実現を目指した取り組みが今,あちらこちらで活発になっています。
個人差に対応したこのような医療は,「オーダーメード医療(あるいはテーラーメード医療)」と呼ばれ,画一的な治療方針や薬を採用してきた従来の医療とは一線を画すものです。薬の効き方や副作用などには個人差があることが知られています。個人の体質に合った対処法を選択することで,副作用の懸念が少なくなったり,医療費が抑えられたりといったメリットが生まれます。ある専門家は「医療現場でここ10年の間に起きる大革命は,過去50年間に起きた変化よりも大きい」と評すほど,期待が集まっているのです。

これには,DNAチップをはじめとする遺伝子解析の技術革新が不可欠です。個人の体質の違いは,DNAの塩基配列の違いなどと密接な関係があることが分かってきたからです。これをデータベース化することなどで,医療の現場で利用できるようになります。一方,DNAは究極の個人情報です。個人情報保護の議論を進めることも欠かせません。
―― 次回へ続く(2010年5月19日公開予定) ――