
個人向けインクジェット・プリンタ市場で,トップ・シェアの座に君臨するセイコーエプソン。その橋頭堡的な役割を果たしたのが,1996 年末に発売して大ヒットしたプリンタ「ColorioPM-700C」である。開発の発端は1990 年前後。当時の様子を今回はプリンタ開発の総責任者である中村治夫氏(写真)に振り返ってもらった。
個人向けインクジェット・プリンタ市場で,トップ・シェアの座に君臨するセイコーエプソン。その橋頭堡的な役割を果たしたのが,1996 年末に発売して大ヒットしたプリンタ「ColorioPM-700C」である。開発の発端は1990 年前後。当時の様子を今回はプリンタ開発の総責任者である中村治夫氏(写真)に振り返ってもらった。
「PM-700C」の大ヒットによって,プリンタ・メーカとしてのセイコーエプソンの地位は揺るぎないものとなる。そして,1年後の1997年11月に「PM―750C」,1998年10月に「PM-770C」,そして1999年10月には「PM-800C/DC」と,次々に新しいプリンタを市場に投入する(図5)。
新しいプリンタの製品化に向かって動き出した開発陣。その先導役を果たしたのが画像処理技術の開発者たちである。ノズル径をできる限り小さく絞ったヘッドに,濃度を薄めたカラー・インクを入れて画像を打ち出す。これで銀塩写真に負けない画像が出来上がり,開発陣全体の開発意欲が一気に高まった。ところが,営業サイドは…
――インクが一因となって,評判を落としてしまったウチのプリンタ…。「とにかく,早くインクを抜本的に改良しなければ」との思いだけでした。そもそも,黒インクと他のインクが混ざってしまうという以前に,もっと根本的な問題が当時使っていたインクにはあったのです。
1994年6月に発売,たちまちヒット商品となった「MJ-700V2C」。だが,開発陣はモノクロ印刷の品質では納得できず,その1年後に投入したプリンタで,黒インクを替えた。ところが,それが原因で問題が発生,評判はみるみる落ちてしまう。あせった開発陣は応急処置を施して新たなプリンタを製品化する…。こうし…
高画質化を達成した「MJ-700V2C」ではあるが,改善しなければならない点がまだいくつか残っていた。まずは印刷速度の高速化である。カラー画像の場合,1枚当たりの印刷にかかる時間は16分。これではいくらきれいな画像を打ち出せても,そう頻繁には使われそうもない。ユーザから「実用的ではない」との声が出る…
「よりきれいな画像を実現するためには,解像度を360dpi(dots per inch)から720dpiに高めるしかない」。これが画像処理技術を担当する武井克守氏が出した結論だった。製紙メーカなどに掛け合った末,ついに現実のものとなる。そして,次の機種開発に碓井稔氏らが挑む。プリント・ヘッドの低コス…
これだけ大ヒットしたのは,やはりカラー画質が評価されたのだと思います。それほど卓越した画質だった。他社のプリンタを完全に圧倒しているという自信はありました。
新たに開発されたプリント・ヘッドにカラー・インクを入れ,加速試験をしていた大渡章夫氏(写真)。このとき,ヘッドが次々と壊れ出す。なんとか対処できたものの,大きな痛手を受けることになる。これと並行して,武井克守氏は印刷画像の画質向上を目指して技術開発を進めていた。当時の様子を大渡氏が振り返る。
とにもかくにも,開発は無事に終了しました。そしてすでに,次の開発も進行し始めていたのです。ちょうど私が最初に開発部から設計部に異動したとき,大渡さんが設計部から開発部に移ってきました。私と入れ替わるかたちで。
1992年の年末商戦に向け,ヘッド開発を進める碓井稔氏(写真)。開発部と設計部の異動を繰り返した末,インクがきちんと飛ぶヘッドの開発に行き着き,プリンタを完成させた。同時にこのヘッドを使って,カラー・プリンタの開発に大渡章夫氏が着手する。途中までは順調に進んだが…。今回,前半部は碓井氏,後半部は大渡…
そう,そう。大渡さんがいま話した通り。確かにあのころはきつかった。ただ,そのなかから大渡さんたちが考え出した「ノズル・プレート」の技術は,その後もずっと使われている技術なんです。
1990年ころ,「このままでは会社が潰れる」との危機感を強めたインクジェット開発部隊は,2通りのやり方でプリント・ヘッド開発に挑む。そのうち,大渡章夫氏らが開発したヘッドで,1991年の年末商戦を乗り切る。一方,別のアプローチでヘッド開発を進めた碓井稔氏は…。今回,前半部は大渡氏,後半部は碓井氏が振…
それでも最初のうちは,まだよかった。でも,だんだん風当たりが強くなってきて,しまいには社内中から白い目で見られる始末でした。なに遊んでるんだって。
個人向けインクジェット・プリンタ市場で,トップ・シェアの座に君臨するセイコーエプソン。その橋頭堡的な役割を果たしたのが,1996年末に発売して大ヒットしたプリンタ「Colorio PM-700C」である。開発の発端は1990年前後。当時の様子を今回はプリンタ開発の総責任者である中村治夫氏に振り返って…