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前編より続く

 こうして,Nokia社の意向を受けたA&Aジャパンに,Nokia社向けに部品を調達する部門,通称ノキア課が発足する。TMCはあくまで製造委託会社であり,部品の販売権などを保有していなかったため,別組織が必要だったのだ。

ノキアが日本に拠点構築

 ノキア課は,日本の部品メーカーから携帯電話機用の部品を購入して,サロ市にある工場に送った。A&Aジャパンに対し部品価格の7~8%の業務手数料を支払っても,Nokia社は十分にコスト削減できたという。

 Nokia社への流通ルートの整備は,日本の部品メーカーが欧州携帯電話機市場へ進出する契機になった。当時,A&Aジャパンの橋田が作った「部品供給企業リスト」は,掲載されたメーカーに多くの利益をもたらした注1)

注1) 橋田(現ノキア・ジャパン 取締役 最高 顧問)はその後,日本の部品メーカーの輸出推 進に貢献したとして,電気通信協会賞を受賞 している。

 A&Aジャパンのノキア課はその後,ノキア・ジャパンとして独立する。Nokia社向けの部品調達業務を主眼に設立された会社だったが,徐々に重要性を増し,国内の携帯電話事業者向けの端末開発や,日本市場の調査,そして次世代移動通信方式の研究開発拠点へと陣容を拡大していくことになる。

「中国はノーだよ,内海さん」

 Nokia社との合弁企業が立ち上がりつつあった1980年代後半,内海の関心は中国に向いていた。円高が進む日本や,労働者の賃金が上昇基調にあった韓国に比べ,中国の労働コストはまだ低かった。いずれ多くの電子機器が中国で製造されるようになると,内海は見込んでいた。そこで内海は,香港に程近い中国・東莞に工場を建設しようと,中国政府関係者との折衝を始めた。

 しかし当時,内海のこうした考えの理解者は少なかった。Tandy RadioShackに関わる同僚や取引先の多くは皆,口をそろえて反対したという。

「内海さん,中国はノーだ。品質管理ができないし,従業員教育も大変だ。政府の方針もはっきりしない。リスクだらけだよ」

 当時はまだ,中国で電子機器を製造するメーカーはほとんどなかった。現地の受け入れ体制も決して整っているとは言い難い状況だ。中国進出を不安視する見方の方が,むしろ一般的だったのである。

 ところが,四面楚歌の内海に手を差し伸べた人物が一人だけいた。内海の20年来の友人であり,また,台湾の電子機器メーカーに強固な人脈を持つある男が,内海の中国進出計画に猛烈な賛意を表明したのである。