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【前回より続く】
「6147」の打ち合わせ 風景
1979年当時の写真。左から安井徳政氏,牧本次生氏,増原利明氏。日立製作所が提供。

 Intel社が2147を発表して1年足らず。1978年2月に開催した半導体回路技術の国際会議「ISSCC(IEEE International Solid-State Circuits Conference)」で日立は6147を発表した。その仕様は参加者の常識を超えていた。

同等の性能を安価かつ低電力で

 CMOS技術を使ったにもかかわらず,アクセス時間は2147と全く同じ55nsと70ns。おまけにコストに直結するチップ面積も小さかった。6147のチップ面積は11.5mm2と,2147の16.2mm2に比べて30%も小型だ。nMOSプロセスと比べてマスク枚数は多かったが,チップ面積を縮小した結果,コストで2147を下回れると日立は主張した。

 消費電力は当然ながら低かった。動作時電力はIntel社の2147が550mWだったのに対し,6147はわずか75mW。待機時電力に至ってはIntel社の75mWに比べて0.005mWと圧倒的に低かった。

 日立の発表は,半導体技術の研究者に衝撃を与えた。CMOS技術は低速で高価というそれまでの通念は,一瞬にして覆ってしまった。CMOS技術は俄然注目を集め,「nMOS対CMOS」の技術論争が勃発した。

 思わぬ方向から強力なライバルが現れたことに,Intel社も慌てた。当時のIntel社の状況を物語るエピソードがある。日立で6147の回路設計を担当した安井徳政は,ずっと後の1996年になって米SanDisk Corp.との交渉の場に臨んだ。SanDisk社側から出席したのは,Chairman & Chief Executive OfficerのEli Harari。何かの拍子で安井が6147の設計者だったと知ると,Harariは突然声を張り上げた。「おまえか,私を苦しめたのは!」。Harariは,かつて在籍したIntel社で2147の設計を担当していたのである。この一件以来,安井はHarariと急に親しくなったという。

ユーザーの意識を変える

 6147は,研究者たちを驚かせたものの,市場ではそれほど目立った存在でなかった。大型コンピュータ向けのSRAMという限られた分野の話であり,業界全体に知れ渡るほどではなかった。公の場で表彰されたのも,米Industrial Research Development誌が毎年100件の革新的な成果に対して贈る「IR 100」を1979年に受賞したことくらいである。

 日立製作所の成果をユーザーにまで知らしめたのは,1979年に登場した16KビットSRAMの「HM6116」である。6147で確立した高速・低コストのCMOS技術を受け継いだまま大容量化を進めた。6147が高速品を要求する先端市場を狙ったのに対し,6116は当時「中速」といわれた汎用SRAMの市場を狙った。ここでも日立はnMOSを使った既存のSRAMに迫る動作速度を実現し,なおかつコストと消費電力を低く抑えた。