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【前回より続く】

 1977年3月に遡る。この月,安井はCMOS製SRAMに関する中央研究所との共同開発プロジェクトを始動させた。その大きな理由が武蔵工場単体での開発に限界を感じていたことだった。HM4315の開発遅れに,上司の牧本はしばしば怒りを爆発させた。「なぜ根本的な対策ができないのか!」。武蔵工場の限られた人員で開発することが難しければ,外部を巻き込んで大きなプロジェクトを起こすべきだ─それが牧本のメッセージだった。安井も,部下の西村が人手のなさに苦労する様を間近に見て,限界を感じずにはいられなかった。

高速CMOS技術との出合い

 安井が開発のパートナーとして中央研究所に白羽の矢を立てたのには布石がある。安井は高抵抗セルを用いた2種類のSRAMの開発を始めた直後の1976年夏,中央研究所の増原利明と何気ない会話を交わした。安井と増原は旧知の間柄だった。同じ京都大学出身の同期生で,大学の研究室も近く,時には一つのラーメンを二つに分けて食べるほどの仲だった。日立に入社してからは安井が武蔵工場,増原が中央研究所に配属となったものの,連絡は取り合っていた。奇しくもこのころ増原が手掛けていたのがCMOSプロセスの研究だった。中央研究所にはCMOSプロセスがなく,増原はテスト・チップを試作するために,武蔵工場に頻繁に出かけていた。

 その日,安井は増原から興味深い話を聞いた。増原とともにCMOS技術を研究している酒井芳男が「2重ウエルCMOS」と呼ぶ技術を発明したという。まだアイデア段階で試作・評価はこれからになるが,その技術を使えば,CMOSを大幅に高速化できる可能性があるらしい。

高抵抗セルを開発した安井氏と2重ウエルCMOSを開発した増原氏,酒井氏
左から,ルネサス ソリューションズ 嘱託技術顧問の安井徳政氏,超先端電子技術開発機構 常務理事 兼 研究企画部 長の増原利明氏,ソニー 人事センターの酒井芳男氏。写真と所属はいずれも2007年現在のもの。

 その後も安井と増原の議論は続いた。増原は当初,2重ウエルCMOSをDRAMへ応用しようとしていた。実際,武蔵工場で試作したテスト・チップの中にはさまざまな評価回路に交じってDRAMセルが入っていた。ただ,検討を進めていくうちに,DRAMへの応用はあきらめざるを得なくなった。DRAMは市場規模が大きく,事業化すれば多くの技術者を巻き込むことになる。会社の浮沈を左右するような事業で,実際の能力が未知数の技術をテストすることはできない。