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 Mac OS Xの最新バージョン「Lion」は、Apple社が実現しようとしている新しいUIへの挑戦の第一歩である。同社はおそらく、マウスの利用を前提としたこれまでの操作体系から脱却することを目指している。実際、マウスによる操作よりも、タッチ・パッドによる操作に主軸を置いた部分が散見されるからである。  その代表例が、タッチ・パッド上に置いた複数本の指の動きで操作する「マルチタッチジェスチャー」にある。Lionでは、ウインドウ内でスクロールする、ウインドウ内のページを切り替える、ウインドウを移動させるなどのOS上の基本操作を、マルチタッチジェスチャーに割り当てている。

 これまでのMac OSでも、マルチタッチジェスチャーは使われていたが、マウス操作の代用としての意味合いが強かった。Lionでは、タッチ操作をマウスの代わりとして考えるのではなく、タッチ操作によるOSのUIとはどうあるべきかを考えて作られたようにみえる。

 実際、Apple社の製品には、マルチ・タッチも可能なマウス「Magic Mouse」があるが、このMagic Mouseよりも、タッチ・パッドでのマルチ・タッチのほうが操作しやすい。「マウスを使わなくても」ではなく、「タッチ・パッドの方がマウスよりも快適な」操作ができるのだ。 これは一般論として「マウスよりタッチ・パッドの方が使いやすい」ということを示しているのではなく、LionがそのUIをタッチ・パッドにあわせて作っているということだ。

目標とする使いやすさが異なる


 Lionの登場により、Apple社はiOSで開拓した「タッチUI」を、パソコンにまで広げようとしているかのようにみえる。だが、iOSとLionは、同じマルチ・タッチを用いるOSでも、目標とする「使いやすさ」の方向性が大きく異なる。

 iOSは、事前の学習をほとんど必要とせず、初めて触っても操作できるという使いやすさを指向している。極論すれば、3歳児や80歳以上の老人が初めて触れても、iOSを採用するiPhoneやiPod touch、iPadを操作できるように設計されている。  

 iOSでは、二本以上の指を使用するマルチ・タッチ操作が必要な場面は実は少ない。画像を拡大・縮小させる際に、二本の指の距離を拡大・縮小するピンチと呼ばれる操作や、画像を回転させる際に利用する程度である。ほとんどの主要な操作は、指一本を使う「シングル・タッチ」で行うことができる。指一本の操作は、タッチ・パネルに表示される画像に工夫を施せば、操作法を知らないユーザーでも、うまく操作できるように「促す(アフォード)」ことができる。
 
 それは、ユーザーは現実世界で、指を使った様々な操作をすでに行っているためだ。たとえば机上の紙片を移動するときに指で滑らせる操作は、iOSの画面上で指を滑らせて画面を切り替えるのと同じ作法である。画面上の作法を、現実世界の作法と同一にしていることで、電子機器特有の操作法を学習することなく、自然と操作できるのである。

学習前提の使いやすさを志向


 一方、Lionでは、学習することでより使いやすくすることを目指している。前述したように、LionではOS上の基本操作にマルチタッチジェスチャーを割り当てている。この割り当てを覚えなくても使えないわけではないが、一度操作の作法を覚えれば、マウスを使うよりも素早くて快適な操作が可能になる。端的に言えば、自転車と同じだ。うまく乗るにはある程度練習が必要だが、いったん慣れてしまえば後は簡単に自転車に乗れるようになることに似ている。
 
 例えばマウスでウインドウ内の画像を上下にスクロールさせるには、ウインドウ横にあるスクロール・バーの位置にまでポインタを移動させなければならない。こうしたポインタの移動には手間が掛かる。タッチ・ジェスチャーで代用すれば、この手間を省けるわけだ。いわば、キーボードにおけるショートカットのような使い方を実現している。

 逆にLionでは、「スクロール・バーが通常は表示されていない」「バーの幅が細い」「バーの上下にあったスクロール・アローがない」など、従来よりもはるかにマウスでの操作がしにくくなっている。つまり、タッチ操作が“主”であり、マウス操作は“副”という位置付けを明確にしている。その結果として画面に表示される要素は減って見た目がすっきりしている。

マルチタッチジェスチャー導入の二つの理由


 ここにきて、こうしたマルチタッチジェスチャーによる操作を、パソコン向けOSに本格的に導入してきた理由は少なくとも二つあると考えている。一つは、スマートフォンやタブレット端末といったタッチ・パネル搭載機が普及したことである。タッチ操作に慣れたユーザーが急増したことで、タッチを主としたUIへの道筋を作ることができた。もしiOSが無く、あるいは存在してもこれほどの普及がなければ、Mac OSへのタッチUIの導入には、ユーザー側に抵抗があっただろう。  

 もう一つの理由は、ハードウエアの処理能力の向上だ。指を使ったタッチ・ジェスチャー操作において、重要なのはスピードである。指の動きにぴったり追従するように画面表示が切り替わることで、ユーザーは快適だと感じる。だが、追従する速度が遅いと、ユーザーは操作しにくいと感じてしまう。ハードウエアの処理能力が向上したことで、画面表示の切り替えが指の動きに追従できるようになった。  
 
 今後、iOSとMac OSの操作体系はお互い、似たものになっていくだろう。だが、完全には一致しないと考えている。両者のUIのもっとも大きな違いは、ポインタの有無である。現在のところ、Mac OSはポインタ操作を前提にしているが、iOSはポインタ操作を前提にしていない。
 
 仮にMac OSの操作体系をiOSと同一にしたいのならば、Mac OSを搭載したパソコンのディスプレイにタッチ・パネルを搭載するはずだ。しかし、Apple社のデスクトップ・パソコンやノート・パソコンにはタッチ・パネルは搭載されていない。ポインタを使う機器でタッチ・パネル機能を搭載すると、操作体系のルールを統一するのが難しくなり、ユーザーが操作に戸惑うケースが増える恐れがあるからだ。
 
 ポインタによる操作は、ディスプレイに表示された情報にポインタを介して触れる間接的な操作法である。一方、タッチ・パネルによる操作は、ディスプレイに表示された情報を直接指で触れる操作法で、ポインタ操作とは異なる。直接的な操作体系と間接的な操作体系が混在すると、操作しにくくなる。

住み分けが明確に


 Lionの登場によって、これまでの四半世紀にわたってMac OSが担ってきた「For the rest of us」(専門家以外の一般の人々のために)という役目をiOSに譲った、ということが明確になった。iOSはまったくの初心者向け、Mac OSはある程度コンピュータ操作に知識がある人向け、という住み分けがはっきりしたのである。
 
 市場にある電子機器のほとんどは、十分な学習を前提として操作することを想定して設計すべきではない。そのため、タッチ・パネルやタッチ・パッドといったタッチ・センサを用いる電子機器が学ぶべきものは主にiOSということになる。

 もちろん、専門家が日常的に使うような、十分な学習を前提として操作する電子機器においてはLionのマルチタッチジェスチャーも参考になる。ただし、その良さを真似するには相当なデザイン能力が必要になる。Lionは、ジェスチャー操作の割当てやフィードバックの映像的な表現などに周到な計算をしているためである。