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 当初は犬猿の仲だった日本人駐在員とタイ人スタッフの関係を「グローバル見える化」で修復し、職場を「任せられない現場」から「自ら行動できる現場」へと激変させた工場がある。ヤマハ発動機のタイ製造拠点であるThai Yamaha Motor社(TYM)だ。会社の業績も、一時は「清算した方がいい」と考えられたほど危機的状態だったが、その後、日本人─タイ人の関係と足並みをそろえるかのようにV字回復。2001年に10.4%まで落ち込んだオートバイの販売台数のシェアも、2009年には27.9%にまで改善している。

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 日本人駐在員とタイ人スタッフが犬猿の仲だったのは、もともと同社がタイ人の経営するタイの会社だったからだ。TYMの前身であるSiam Yamaha社は、1964年に設立。ヤマハ発動機と技術援助契約を結び、オートバイの製造を手掛けていた。ところが1997年、アジア通貨危機の影響で売り上げが減少。そこへ、4サイクルエンジンを積んだホンダの新機種に市場を奪われたことが追い討ちをかけた。同社は、リストラを幾度となく決行。「いよいよ倒産か」という2000年、ヤマハ発動機が株式の51%を買い取り資本参加した。それまでタイの会社だった同社が急に、日本の会社となったのである。

 そして同社には、2002年1月までに31人の日本人駐在員が押し寄せてきた。その後、タイ人の経営・管理者たちは、外からやってきた日本人駐在員のアシスタント的な存在となった。「当時は、現場で働くタイ人スタッフも異国に攻め入られたように感じていたのではないか。『いつリストラされるか』と不安だっただろう」(TYMのChief of Manufacturingを務める広瀬聡氏)。

 今でこそ、こんな想像力も働くが、当時の日本人駐在員とて必死である。なんとか市場のシェアを取り戻そう、なんとか現場に言うことを聞いてもらおうと頑張った。しかし、この頑張りが裏目に出ていることに、当時の日本人駐在員たちは気付いていなかった。

対立の影に隠れていた本質

 日本人駐在員はタイ人スタッフに作業を割り振ろうとしたが、タイ人スタッフはなかなか動いてくれなかった。駐在員のやり方は、それまでタイ人スタッフがやっていたやり方と全く違う。「突然、『3現主義だ』なんて言っても理解してもらえない。『ならば自分でやらねば』と、管理者であるにもかかわらず、オペレーターと化して大量の仕事を自らこなしていた」(TYMの製造技術と調達部門のGeneral Managerを務める神肇氏)。日本人が仕事をこなせばこなすほど、タイ人のモチベーションは下がっていく。やがてそれは、お互いに対する文句を影で言うような「対立」の関係へ陥っていった。

 こうして深く刻まれた溝をなんとか埋めようと、TYMが2002年に実施したのが「異文化意識調査」と「OJT意識調査」だ(見える化事例1)。タイ人と日本人が互いをどう思っているのかのアンケートを実施したのだ。そこから同社は、こんな発見をした。タイ人は、「日本人から仕事をOJTで教わりたいが、日本人にはそのスキルがない」と考えている。一方の日本人は、「タイ人は、仕事のスキルがそれほど高くないので仕事を任せられない。タイ人に仕事のやり方を教えたいが、自分が忙しくてそのための時間を取れない」と悩んでいる。つまり、対立の奥に隠れていたのは、互いに「教わりたい」「教えたい」という願望。不満の原因は、相手のスキルの低さというよりもむしろ、そんな望みが叶わないことの方にあったのだ。

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