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 原子力規制とは原子力施設の安全を確保するための社会科学的手法や自然科学的手法による統治/共治のこと1)。日本では、原子力開発の黎明期である1956年1月に、原子力政策策定と原子力規制を担う組織として「原子力委員会」(AEC)が総理府に発足したのが始まりである。初代委員長は原子力担当国務大臣の正力松太郎氏だった2)

安全よりも導入優先の黎明期

 原子力委員会の発足から約3カ月後の1956年3月、原子力研究所は日本で最初の研究用原子炉「JRR-1」(Japan Research Reactor No.1)*1の購入契約を米NAA社と交わし、約4カ月後の1956年8月にはJRR-1の起工式を行っている。さらにその3カ月後の1956年11月には、早くも日本で2番目の研究用原子炉「JRR-2」(Japan Research Reactor No.2)*2の購入契約を米AMF Atomics社と締結した。しかし、実は原子力規制に必要な原子炉等規制法や放射線障害防止法が成立したのは、原子力委員会発足の約1年半後の1957年5月だった2)

*1 軽水減速軽水冷却型(ウォータボイラー型)原子炉。原子炉熱出力は50kW。
*2 重水減速重水冷却型原子炉。原子炉熱出力は10MW。

 原子力安全委員会委員長などを歴任した佐藤一男氏は当時を振り返って、「従ってこの炉*3は何の法規制も受けずに建設、運転されたことになる。そのためか、あるいは契約上の何らかの制約のためか、JRR-1には炉心タンクの図面がなく(直径約40cmの球状で、内部に炉心冷却用のらせん状の冷却水細管があるとの説明があったが)、正確な寸法、構造などは一切不明であった。炉心部は周りに黒鉛反射体を配置した円筒状のアッセンブリーの形で米国から運ばれ、据えつけられた」と述べている3)。今では考えられないことだが、日本の原子力開発黎明期は法的な整備が遅れていたため、原子炉の建設に実質的に何の規制もなかったのである。

*3 JRR-1のこと。