2011年10月13日、東京ビッグサイトで、デジタルヘルスOnline主催(共催:デル)の「デジタルヘルスセミナー in ITPro EXPO」が開催された。テーマは「医療・健康・介護の未来と自治体が担う役割 ~暮らしが変わる、インフラが生まれる、技術が活きる~」。少子高齢化社会が進行する中、生涯を通じて健康な暮らしを願う住民に対して地方自治体はどのような役割が果たせるのか。先進的な取り組みを推進している地方自治体が、現状報告を行った。
人々が健康な生活を送れる社会を実現する上で、地方自治体の役割が大きいとされているが、韓国では地方自治体と国がタッグを組んで推進している取り組みがある。その舞台が韓国第3の都市 大邱(テグ)広域市だ。同市は、韓国初の韓方薬市場や西洋医学病院が開かれた歴史を持ち、現在もソウルに次いで医歯薬学系大学病院が多い。そこで、ITやメディカル、バイオ、ナノ分野のテクノロジーに立脚した一大医療産業都市“メディシティ テグ”形成を計画している。
メディカルシティをめざす韓国大邱市、世界最大規模のケアサービス実証実験
これまで、同市では、ウエアラブルコンピュータベースの医療産業の形成や次世代型IT基盤技術事業化支援事業などを推進してきた。2010年から2013年にかけて進行めているのが、スマートケアサービスの実証実験事業だ。4000人の慢性疾患罹患者を対象に、遠隔医療や遠隔医療サービスを提供し、臨床的有効性と事業性を検証するという、世界的に見ても大規模な実証実験である。
実施の背景には、高齢化社会が進む中、国民の健康生活を改善させ、医療サービスの向上やITベースの医療産業隆盛を図りたいという、国や自治体など行政側の思惑がある。ここには、フィールドである大邱広域市はもちろん、日本の経済産業省にあたる知識経済部、厚生労働省にあたる保健福祉部、LG電子などの民間企業やソウル大学、延世大学など多数の組織が参画している。
実験1年目の成果はインフラ構築とナレッジの蓄積、今後の課題は障壁の打破
具体的な実験内容としては、大きく3つのプロセスがある。
まず、血糖値測定器や血圧測定器、活動量計などを被験者に配布し、そこで測定したデータをモバイル端末やPCから、“スマートケアセンター”と呼ばれる健康管理や遠隔医療用のサーバーに送信してもらう。次に、そのデータを、遠隔地の病院や医療関係者、スマートケアセンタースタッフに送り、診療、検査、処方箋などを依頼する。そして、その結果を専門家のアドバイスや電子処方箋という形で被験者に戻す。
韓国大邱市庁新技術産業局医療産業チーム チーム長 洪 碩●(ホン・ソクジュン、ジュンは日へんに俊の右側)氏は、実験1年目が経過した現在の成果として、「スマートケアセンターという具体的な実証実験基盤インフラが構築されたこと、臨床試験準備の中で複数の倫理基準合格や特許を多数出願できたことなどが挙げられる」と語る。同氏は、この実験に参加した糖尿病患者9人の平均空腹時血糖値がどのように低下したか、といった効果を発揮したサービス例も紹介した。
ただ、課題もある。今回の実証実験開始時、一部の小規模開業医院が“遠隔医療によって職域を侵される”として正式に不参加を表明した。また、知識経済部と保健福祉部の政策の間には常に路線の違いがあり、地方自治体として苦慮するケースがあるという。
洪氏は「実験を通じて感じることは、突破すべき壁として、技術よりも政治、社会の方が高いこと。今後は、開業医院である一次医療機関にメリットのあるビジネスモデル構築や広範囲な遠隔医療実現に向けた法整備、サービスプラットフォームの相互互換性保証のための国際的標準・仕様策定などを目標に推進していきたい」と講演を締めくくった。
ICTを活用すれば、地方自治体で個別の健康・栄養プログラムを提供可能
一方、日本の地方自治体は住民の健康づくりにどう取り組んでいるか。その一端を報告したのは、筑波大学大学院 人間総合科学研究科 教授で、大学発ベンチャー企業のつくばウエルネスリサーチの代表取締役社長を務める久野譜也氏である。
冒頭、同氏は、自らが居住する首都圏都市の人口高齢化率を示しながら、「財政に重くのしかかる医療費負担を低減するためにも、地方自治体の住民の健康づくり施策は必須。しかし、現在の地方自治体の健康づくり施策は、多くがリーチ不足」と主張した。
すそ野を広げるには、個々の参加者に適したパーソナルなプログラムを提供することが重要で、地方自治体で推進するにはIT活用が有効だとして、久野氏は同社が開発したe-wellnessシステムを紹介した。これは、科学的根拠に基づいて個別に最適な運動処方を提供するプログラムで、体力テストや体組成測定、身体活動量、ライフスタイルテストなどにより体力年齢や、一日の推定摂取エネルギー量などを評価し、個別の運動・栄養プログラムを提供するもの。“三日坊主”にならないようデータを活用した指導者支援を交えて、そのプログラムを継続的に実施する。
システム内に独自のアルゴリズムが組み込まれており、主幹する組織に特別な健康管理知識がなくても実施できるのが利点だという。実際、新潟県見附市などe-wellnessシステムを導入した地方自治体は数千人単位の参加者があり、どの地方自治体でも参加者の体力年齢若返りが見られた、と久野氏は指摘する。
ヘルスリテラシーやソーシャルキャピタルの高い社会をどう形成するか
ただ、e-wellnessシステムも“壁”にぶつかっている。原因は、住民の“ヘルスリテラシー”の欠如だ。WHOの定義によると、これは健康増進や維持に必要な情報にアクセスし、理解し、活用していく個人の動機や能力を決定する認知的・社会的スキルのこと。久野氏の調査によると、必要な情報の取得や行動を起こす意志がない健康づくりにまったく関心のない層が7割にも達するという。
情報を取得する意志のない7割の層へアプローチするために久野氏が国の助成金を得て実施したのが、デジタルフォトフレームを使った健康づくり支援プログラムだった。被験者にデジタルフォトフレームを配布し、家族の集う空間に設置してもらう。健康づくりに関する情報をイラスト入りの電子メールとして送信すると、写真の上に表示されるので、家族内で話題になり参加者のやる気を引き起こす。実際に、3カ月後には参加者の一日あたりの歩数増加が認められたという。
久野氏は、車に依存した生活を送らざるをえない地域で糖尿病患者の罹患率が高いなど、生活環境やコミュニティの状況が人々の歩数や健康に大きな影響を与えているという研究結果も示した。これを克服して、成長型長寿社会を構築するための重要なキーワードとして同氏が示したのが、“ソーシャルキャピタル”だ。これは、人々が集団や組織において、共通の目的のために協力して働くことのできる能力を指す。
これを実現するため久野氏は、Smart Wellness Cityプロジェクトを実施。12府県18市の賛同を得て、住宅地に自動車の流入を制限する、公共交通網を強化するなどの社会実験を進めている。「ICTを使って外に出なくてもいい便利な生活を提供するのは、完全に寝たきり促進政策。ICTを活用しながらも、人々が好んで“歩きたい”“外へ出て人とふれあいたい”と思える街を作ることが、ソーシャルキャピタル向上への道であり、結果的に地域活性化にもつながっていく」と久野氏は語り、地域コミュニティの復活を訴えた。
つくばならではのリソースを生かした独自のヘルスイノベーション戦略
続いて、茨城県つくば市が具体的な取り組みついて講演した。つくば研究学園都市として発展してきた同市は、つくばエクスプレス(TX)開通効果などで、人口を着実に増やしている。ただ、やはり高齢化は進んでおり、全体の高齢化率16.1%は全国高齢化率の23.1%を下回るものの、TX沿線以外では24%に達している。
そこで、つくば市が健康増進計画として掲げたのが「健康つくば21」だ。これは、一次予防施策を重視した施策で、市民主体の健康づくりやそれを支援する環境づくりを行うことで、健康的でQOL(Quality Of Life)の高い生活・生涯を送れるようにしようというもの。既存の事業としては「つくばウォーク」、スタッフが市民のもとへ出向いて行う「シルバーリハビリ体操」などがある。
これをさらに一歩前に進めるべく立案されたのが、10年後のつくばを創造するための“ヘルスイノベーション戦略”だった。高齢者だけでなく全市民のQOL向上をめざし、「まちづくり」「ICT活用」という視点を持ってヘルスプロモーションを行うことを主眼としている。
つくば市企画部長の石塚敏之氏は、「地方自治体だけでできることには限度があると考え、つくば市、筑波大学、市内に研究機関を置くインテルとの三者連携を決断した。シナジー効果を期待しながら、ICTを活用した市民ニーズ密着の新サービス創出をめざしている」
「健康づくりプログラム」の実証実験で、講演者自ら体力年齢若返り
その一環として、2012年度より市民への提供を予定している「健康づくりプログラム」の実証実験が現在進行中だ。24人の市職員が、計測機器やICT機器を活用して、運動教室に参加するとともに綿密な健康情報管理を行っている。筑波大学が開発した個別運動・栄養プログラム提供のためのe-Wellnessシステムも利用されている。
実は石塚氏も被験者の一人で、自らの健康評価データや運動実績データを示しながら、実証実験の内容を具体的に紹介した。「通常の生活の中で負荷のかからない方法で実施できるのがいい。誰かが自分のチャレンジを見守ってくれるというのもありがたく、仲間と一緒だから楽しく続けられる。1カ月半で体力年齢が2歳若返った」(石塚氏)。
そのほか同市では、歩道と自転車道が完全分離されているつくばの環境を生かした自転車を多用したライフスタイル形成や、ベデストリアンデッキ、つくば公園道など歩ける環境づくりも進めている。石塚氏は「ICTを活用したヘルスイノベーションで、“誰もが健康で安心して生活ができるまち つくば”を実現したい」と抱負を語った。