効率的・効果的な医療提供に向けて、多くの国がITを基盤として医療システムの改善と効率化を進めている。ヨーロッパ諸国の先進動向を視察してきた岐阜大学大学院教授(医療情報学分野)の紀ノ定保臣氏が、10月27日に東京都内で開催されたインターシステムズジャパン主催のヘルスケアセミナーで「ヨーロッパ先進動向と日本での医療IT活用における課題と展望」と題した講演を行った。講演後、同テーマに沿った形で、特に日本の状況について紀ノ定氏にインタビューした内容と合わせて、レポートとしてまとめた。
米国や英国をはじめとする欧米の事例を紹介
紀ノ定氏は講演の冒頭で「高齢化社会の到来に伴い、医療・健康を取り巻く諸課題や制度のひずみの顕在化、医療コストの高騰など先進諸国は、ほぼ共通の課題に直面している。求められるのは、効率的、効果的に医療をどう提供するかであり、各国とも戦略的に今後3~5年間のうちに新しい対応策を考える必要がある。」と主張。続いて「ITはその中核を担うもの、基盤となるものであり、重要な要素だ。ただ、戦略やIT化推進の方法論は、各国それぞれの歴史や医療制度との兼ね合いで異なってくる。それを理解して、日本の医療システムの改善、IT活用を考えていく必要がある」と述べた。
続いて、同氏が訪問した欧米諸国の医療IT推進動向を紹介した。まず米国は、ブッシュ前大統領が2004年の年頭教書で10年以内に相互運用可能なEHRを普及させると宣言し、診療現場でのIT利用の推進と地域・国レベルで医療情報交換ネットワークを構築するという戦略を立てた。しかし、当初話題になったほど実質的な効果は上がっていなかったという。それがオバマ政権になってHealth2.0という政策が打ち出され、クリニックと病院が2011年から5年間にEHRへ投資した際に、それら医療機関に340億ドルを還付するという連邦議会公約を発表した。
「こうした政策で医療の大幅な効率改善が期待できると判断した背景には、米国の医療機関が垂直統合型のヘルスケアプロバイダーで構成されている点がある。1つのヘルスケアプロバイダーが、大病院・中小病院、多くの開業医を包括して垂直統合型の法人を形成しているため、法人単位でのIT推進が比較的容易にできる環境にあることを理解しておく必要がある」と指摘した。米国の医療IT化の現状は、オーダリングや電子カルテを日本のHISと比較すれば機能レベルは低いし、その利用も進んでいない。しかし、ヘルスケアプロバイダーの構造を理解すれば、政策によってIT化推進が大きく加速する可能性があるという。
一方、英国の医療保険制度では、一次医療はGP(General Practitioner)、二次医療は専門医という明確な役割分担がある。患者は居住区のGPと契約し、GPの紹介がなければ保険で専門医にかかることができない。こうした医療提供制度の中でNHS(National Health Service) Connecting for Healthという戦略の下、2010年までに英国全体でEHRの実現を目指した。電子処方せんサービスは2005年に50%、2006年に100%の普及を目標にするとともに、2007年にはNational Network Service(略称Spine)により全英1万8000カ所以上の診療施設がネットワークで接続され、すべてのGPのネットワーク化を完了している。
現在では、Spine上で予約システムは2100万件の利用があり、GP to GP(患者が引っ越した際にGP同士のヘルスレコードを受け渡す仕組み)も100万人のデータが電子的にトランスファーされている。こうした結果に至った背景として、2009年4月から始まった政府による相互接続性に関する戦略的なアプローチが奏功していると指摘する。
入退院・転院のためのメッセージの標準化、診療録をHL7のCDA(Clinical Document Architecture)ベースで交換可能にすると定義するなど、政府が相互接続用ツールキット(The NHS Interoperability Toolkit:ITK)の仕様を決め、ベンダーが提案するプラットフォームをITKとして採用できるか評価・認定している。現在、英国ではそのITKの1つとしてインターシステムズのインテグレーションソフトウエア「Ensemble」が広く使われているという。
「英国がEHRを急速に進展させた要因は、政府がイニシアティブを執って推進したことが大きい。ITK戦略に見られるように、相互接続は政府の仕事と認識し、必ず医療機関がITKを導入するよう主導する役割を担ったことだ。また、厳しい財政の中でプロジェクトを推進するために、一から新しいシステムを構築するのではなく、今あるものをリユースしていこうという方針も現実性を高めた」
「当初、Spineはまったく新しいシステムを構築して医療サービスの効率化を目指したが、実質的には失敗だった。それをリユースという視点で、既にあるコンポーネントを利用していく考えに改めたこと、投資に見合ったアウトカムを設定してきちんと評価・検証していること、こうしたやり方が成果に結びついている」。実際英国では、GPの紹介で総合病院の「外来を受診できる」まで16週間待たなければならない状況から、「治療を受ける」まで16週間に短縮された。フリーアクセスの日本と比べると、未だに長期間待機しなければならない状況ではあるが、「きちんと目標・指標を設定して、アウトカムを出している点は評価すべきだ」と紀ノ定氏は説明する。
講演では、このほかにドイツ、デンマーク、フィンランドなどの医療IT、EHRの動向を紹介。「各国とも自国の歴史や特性、健康・医療・介護・かかりつけ医の役割などを尊重して、その上で医療にITを活用していこうという姿勢を強く感じた。そうした歴史と文化の上に医療サービスとビジネスが育つ」と紀ノ定氏は強調した。
戦略としての責任主体の明確化と計画のアウトカム検証が求められる
では、日本の医療構造、医療におけるIT戦略とその進捗はどうか。日本の保険制度・医療サービスは、国民全員が健康保険に加入し、一部負担金があれば、希望する病院や診療所を選んで、必要な医療サービスそのものを直接、受けられるフリーアクセス制。サービスを提供する医療機関は、収益ベースで見る限り、外来主体の診療所、入院では医療法人・公的機関、高度先進医療を特徴とする大学病院などの役割分担は果たされているように見える。
フリーアクセスは、患者側から見れば利便性が高く、効率的な受診制度である。反面、中核病院に患者が集中する、医療サービスの高コスト体質を生み出している、などの側面もある。また、診療情報はその都度患者が選択した医療機関に残るため、散在状態にある。これを背景に医療機関を連続的につないで、患者にメリットのあるサービスを提供する手段として地域医療連携が必要とされる。「そのロジックはよいが、議論の視点や手法に問題がある」と紀ノ定氏は言う。
「2007年に『医療・健康・介護・福祉分野の情報化グランドデザイン』が示され、情報連携の推進の中で医療用語や用語間の関連性コードの標準化、記述要件や書類の定義の標準化など詳細な仕様の定義がされた。しかし、運用の視点を忘れたのか、現状では進展していない。また、地域医療計画の見直しの中で『かかりつけ医』という言葉が登場したが、それは英国のGPのように診療所医師が担当するものなのかどうかが論議されていないし、国民がこれを理解しているのか、医療者自身がかかりつけ医の役割を重要視する意識を持ったのかどうか――こうした点が不明のままだ」。
そのような状況で、2010年5月に発表された新たな情報通信技術戦略の医療分野の重点施策において、「どこでもMy病院構想」「シームレスな地域医療連携の実現」といった取り組みが示された。「諸外国のGPと専門病院の役割分担は、既にリアルの世界で長年の間にでき上がった受診のルールをIT化してコネクトしたから、医療の効率化につながっている面がある。そのルールがなく、制度改革の理解がない中でIT化してシステム上連携しただけでは、十分な運用がなされるのか疑問だ。患者さんの受診制度などを見直した先に、患者さんにとってどのような利便性があるのか、医療機関にとってのメリット、あるいは良質な医療がその先にあることを具体的に見せていく方法を議論していく必要があるし、政府が戦略として主導していくことが求められる」と指摘する。
紀ノ定氏は、欧米諸国の医療連携、EHR推進の直に見てきた中で、政府が自らの役割、あるいは影響力を理解し、国の戦略としてプロジェクトの中でそれを行使していることを強く実感したという。それに対して日本は、「戦略として目標や工程表を示すだけで、あとは地域や現場で実現してください、という姿勢。結果を評価・分析して、それを次の工程に生かしていくという、最も重要な点が欠落している」(紀ノ定氏)。
続いて「どこが管理責任を負ってモニタリングするのか。具体的な施策がないように見える。計画に対するアウトカムを検証する仕組みを含めて、県や市などの自治体が責任を持ってガバナンスを働かせるよう国が指導する必要があるし、それぞれの責任の明確化と同時にインセンティブを与えるなどの施策によって、推進を強化しなければならない」と語った。
紀ノ定氏の基調講演のほかに、インターシステムズジャパンのヘルスケアセミナーでは、電子カルテシステムの長期使用によるノウハウをテーマにした三楽病院(東京都)院長の瀬戸山隆平氏の講演、インターシステムズジャパンによる同社のソリューションを使った各国の先進事例紹介なども行われた。
(増田克善=日経メディカルオンライン委嘱ライター)