国内に需要なく、途上国の無電化地域をターゲットに

 千葉県佐倉市は、佐倉城などの史跡も多く、由緒ある歴史の街であると同時に、空の玄関である成田空港が目と鼻の先という、国際性も持っている。京セラが1984年に同市の工業団地内に「佐倉ソーラーエネルギーセンター」を設立したのは、まさに“世界に近い”という地の利からだった。京セラは、1975年に太陽電池の研究・開発を開始し、79年に製品を出荷し始めたものの、国内に大きなニーズはなかった。そこで、活路を求めたのが、ODA(政府開発援助)などを使った途上国の無電化地域への設置だった。

図2●東南アジアの家を模擬した高床式のモデル住宅
(出所:日経BP)
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図3●モデル住宅内には太陽光発電の電気を貯める鉛蓄電池と、照明、テレビ、冷蔵庫を備えた
(出所:日経BP)
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図4●モンゴルの遊牧民の移動式住居に納入した独立電源型の太陽光発電システム
(出所:京セラ)
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 同センターには、事務所棟の屋根に43kWの太陽光パネルを設置したほか、東南アジアの家を模した高床式住居、そして中近東の家を想定した窓の小さい土塀のモデル住宅の2棟が並ぶ(図2)。住居の前に太陽光パネルを据えつけ、蓄電池に充電して照明やテレビ、冷蔵庫を稼働させる独立型の太陽光発電システムを体験できる(図3)。「日本に来る途上国の政府関係者などを招いて、太陽電池システムの使い方を説明し、便利さを実感してもらった」。かつて、同センターの所長を務めた京セラ・ソーラーエネルギー事業本部東京分室の本多潤一・主幹技師は、振り返る。草創期の京セラの太陽電池事業を支えたのは、こうした無電化地域向け独立電源、そしてマイクロウエーブ通信の中継所用電源などで、いずれも海外向けだった。途上国には数百セット、無線中継所用電源向けでも70カ国以上に数千セットを納入した(図4)。小規模なものまで数えると今日までこのような応用製品の販売数は数万セットに達するという。

 国内に太陽電池市場が生まれたのは、1992年にNEDO(新エネルギー・産業技術総合開発機構)による「太陽電池フィールドテスト事業」を経て、まず公共・産業用太陽光システムの設置が始まってからだ。94年からは住宅用太陽光発電の導入を促進する補助制度が始まり、住宅向け市場も動き出した。いずれも技術的なカギは、電力会社の電力系統と連系して、余剰分を送電(逆潮)して売電する仕組みだった。「こうした系統連系システムの規格化に、佐倉ソーラーエネルギーセンターは大きく貢献した」と、本多主幹技師は言う。実際、同センターでは1992年にいち早く住宅用太陽光発電システムを設置したモデル住宅を建設し、いまでも稼働している(図5)。当時、系統連系した場合の安全性などについて、繰り返し実証してデータを取り、国の規格作りに生かされたという。

図5●1992年に住宅用太陽光発電システムを設置したモデル住宅
(出所:日経BP)
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