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トップが理解してくれた

写真:栗原克己

 そこで、日亜化学の創業者である故小川信雄社長(後に会長)に青色LEDの開発をやらせてくれと談判した。どうせさんざんなことを言われるなら、好きなテーマを手掛けようと思ったからだ。もちろんやけくそ。社長とはそれ以前に、研究方針などについて議論したことなどない。ダメなら、本当にやめようと思っていた。

 もちろん、当時名だたる研究者たちが青色LEDの開発に汗水流しているのは知っていた。自分が開発に成功するとは思っていなかったというのが正直なところだ。ダメでもともとと思っていたのだが、なぜか創業者は「いいよ」と簡単に言ってくれた。これは絶対に冗談だと思って「予算も数億円掛かりますよ」と言ったら、「それもいいよ」と。なぜか、予想外にトントン拍子で決まり、後に引けなくなってしまった。

 青色LEDに関しては、会社に入ってから興味を持ち続けていた。LED用の材料を開発する中で読んだ論文で、青色LEDが研究者の究極の夢だということは知っていたからだ。何度か上司には、青色LEDを開発しましょうと提案はしていたが、「何考えてんねん。こんな田舎のカネもない人もいないところでそんなことできるか」と言われ、若い私は「はいそうですね」と言うしかなかった。

 それから10年が過ぎ、右も左も分からない新入社員の私は、中堅技術者に成長していた。だから、説得力が違ったのかもしれない。だが、それ以上に創業者が、私の手掛けた新規事業を買ってくれていたというのが大きいようだ。

 これは後でほかの人から伝え聞いた話だが、リン化ガリウムやヒ化ガリウムなどの事業化を創業者は褒めていたらしい。「中村は開発するだけでなく、きちんと製品をものにする」と。創業者は、自ら蛍光体材料を開発し、会社を興した人物である。新製品を開発することの大変さを理解してくれていたのだろう。

 研究者として論文を書くのはそう難しいことではない。良いことではないが、多少理論やデータが間違っていても、論文は書けてしまうから。でも、製品開発はウソをつけない。新しい分野の製品を作って、月に数百万円でも売り上げることは大変なことなんだということを理解していただいていたのは、私にとって雲上の人だった創業者だけだったのかもしれない。