新しい材料でゼロから勝負
――いまの目標は何ですか。

中村氏 まずはほかの教授と同じレベルで仕事がこなせるようになることです。5年くらいはかかるかな。その間はこっちの環境に慣れるために,これまで研究してきたGaNで次のデバイスを作ろうと思っています。その方が,企業からお金を集めやすいですし。たとえば照明用の白色LEDの開発とかね。でもその後はGaNではなく,まったく新しい材料でデバイスを開発したい。それからが自分にとって本番ですね。
――中村さん自身が育てたGaNにこだわる気持ちはないのですか。
中村氏 自分のなかでは「GaNは終わった」というイメージがかなり強いんですよ。GaAs(ガリウムヒ素)を開発したときと同じで,GaNについてもほかの研究者がテーマとして選び始めましたから。そうなると,後は研究成果をめぐる競争が激しくなって大変なんです。おまけにこちらは,大学に移ってから研究所が完成するまで1年間のブランクができるわけ。しかも,GaNに関しては基礎研究の段階を過ぎている。後は基本的にいまある技術の延長でいけるでしょう。だから,ほかの研究者が目を付けていなかったGaNの研究を日亜化学工業で始めたときのように,次もまったく別の材料で新しいことをやりたい。どんな材料で何を開発するかは,現段階ではまだ白紙ですけどね。
――すでにGaNで大きな業績を残しているにもかかわらず,それを捨てて,なぜまたゼロから勝負をしたいと考えるのでしょう。
中村氏 これまでを振り返ってみても,私の研究サイクルは3年か4年でした。それぐらいの周期で何か新しいことをしないと,気が焦る性分なんですよ。
――Linus Torvalds氏は,自分が開発した「Linux」が市場で商業利用されるようになったところで,「何か新しいことがしたい」と思って米Transmeta Corp.に入りました。それに似ていますね。
中村氏 そうだと思います。
――自分の研究成果が,商業的に成功するかどうかには興味はないんですか。
中村氏 もちろん興味はありますよ。でもそこにとどまっていたら,自分が「アホ」になるような気がするんです。
――青色LEDや青紫色レーザに続く業績を成し遂げる自信は。
中村氏 自信というのはそんなにないけれど,自分を苦しい立場に追い込むと「こんちくしょう」と思ってはい上がっていけるんですよ。いままでやり遂げた四つか五つの研究成果はどれも,苦しい立場に追い込まれたときに浮かんだアイデアが基になった。もう一度そういう環境になれば,きっとまた何かやれる気がする。そのために米国に来たといってもいい。言葉は通じないし,こっちの人に比べると文献を読む時間も10倍くらいかかるしね。僕の場合,ともかくハッピーな状態では何にもできない。失敗するだけ。日亜化学工業時代にも製品化までこぎ着けて安心した途端,不良品の山ができたことがありました。