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会社を辞めよう

――日本の企業で働く技術者はどうすればよいのでしょうか。

中村氏 日本のエンジニアも積極的に会社を辞めなきゃいかんと思います。みんなが定年まで勤めるから,エンジニアの待遇は悪いんですよ。どんどん転職するようになれば,会社は優秀なエンジニアを引き留めようと条件を良くします。野球のFA(free agent)宣言と同じですね。優秀な技術者はみんな米国に来ればいい。そうすれば日本も国を挙げて考え直すようになるのではないでしょうか。

――個々のエンジニアが頑張れば,会社は変われるものなのでしょうか。

中村氏 私だって辞める直前までは本当に会社に忠実な従業員でした。日本人は上司に忠誠を誓うんです。きっと遺伝子に書き込まれていて,それが抜け切れないのでしょう。この遺伝子が会社のシステムなかで生きている。これを破るのは並大抵のことではありません。でも一人ひとりが動かなければ,いつまでもいまのままです。

――中村さん自身が日本で会社を興して,そうした文化を変えるつもりは。

中村氏 たとえそうしても日本のシステムは変わらないでしょう。個人的には,仕事ができなくなったらいずれは日本に帰ろうと思っていますけれど。日本人ですからね。でも自分に「定年」が来ることを考えたことはありません。

インタビューを終えて

2月というのに初夏のような日差しが照り付けるSanta Barbara市にある研究室を訪れると,中村氏は日亜化学工業時代と変わらない気さくな様子で出迎えてくれました。それほど広くない居室の本棚には,日本から持ち込んだとみられる物理学や化学,電子工学などの教科書がところ狭しと並んでいました。なかには『日経エレクトロニクス』も。インタビューの間には,レポートの提出を翌日に控え不安げな学生が,答えのヒントを聞き出そうとやって来ました。「いまは忙しいから1時半にまた来てくれる」と言う中村氏の顔付きは,すっかり大学の先生です。中村氏が「材料系の研究では,全米で最も注目されている」というSanta Barbara校のMaterials Departmentには,優秀な学生が全世界から集まってくるそうです。今年秋に採用する博士課程の学生の募集には,20人の定員に対して7000人が申し込んできたとか。こうした次の時代を担う若手研究者とともに「ゼロからスタートした」中村氏が,数年後にどういった研究成果を発表するかが,いまから楽しみです。