不夜城
そして、赤崎氏から見た天野氏の秀でた点として、「絶対にあきらめないこと」を挙げた。当時赤崎研究室は、天野氏らが熱心に研究を進めており、夜遅くまで研究室に明かりが灯る「不夜城」だったという。
あるとき研究室でゼミ旅行に行ったところ、研究室が盗難にあったという。「(いつもは深夜まで灯っている)研究室の明かりが消えており、泥棒に留守だと分かったのだろう。だから半分は天野君のせいだとも言える」とし、会場から笑いを誘った。
天野氏は正月(1月2日)に実験をして事故を起こしたことがあるという。てっきり休んでいると思っていたので、赤崎氏は驚いたという。このとき、「天野君は自分と重なるところがあると思った。私も30歳前後の若い頃は元日くらいしか休まなかった。正月早々に事故を起こしたときも、似ていると思った」。
一方の天野氏は、当時赤崎研究室を選んだ理由として「研究テーマが分かりやすかったから」と語った。「他の研究室は、最終的にどのようなものになるか分からなかった。しかし、赤崎研究室は青色LEDと(いう目標が)分かりやすかった」(天野氏)。赤崎研究室に入った天野氏は当初、修士課程を終えた後は就職つもりだった。しかし、自分で考えて自由に研究・実験するうち、「やればやるほど楽しくなった。企業のインターンシップにも参加したが、ドクター(博士課程)に進んで研究を続けたいという気持ちが強くなった。そんなとき、赤崎先生からドクターになることを薦められ、決断した」(天野氏)。