メガソーラーは「技術と金融の融合」

 日本アジアグループのエネルギー関連事業には、主に三つの側面があります。一つ目は、一般的な発電事業者と同じように、売電事業に取り組むこと。二つ目は、国際航業の事業の幅を広げる狙い、三つ目は、グループ内の建設、不動産関連企業の事業を、再生可能エネルギーに関連した事業に転換していくことです。この三つとも、ある程度、実現しつつあります。

――宮崎ソーラーウェイの竣工直後に、東日本大震災が発生しました。日本企業の太陽光発電への見方や取り組みは、震災前のCO2削減への貢献から、震災後は原発に代わるエネルギーという流れに変わりました。地震が起こった2011年3月11日の午前中にFITが閣議決定されたことも象徴的でした。

渡邉 日本におけるFITは、もう少し小規模で、静かに始まることを期待していました。しかし、東日本大震災に伴う停電や原子力発電所の事故などによって、エネルギーが身近な問題になり、大企業の経営者たちが声高に発言したことなどが加わって、世間の注目が一気に集まりました。

 全体が静かに立ち上がる中で、実績を積み上げていきたいと思っていたのですが、多くの企業がこぞって参入し、やや目論見と違ってしまいました。市場の急な立ち上がりに追いつけなかった部分もあります。

 例えば、欧州の金融機関や関連メーカーとの取引の中で、グループ内の金融関連事業者が蓄積していた、投資銀行のようなノウハウも日本に持ち込み、一つずつ実績を確立していこうという構想を持っていましたが、実現が遅れてしまいました。

――メガソーラーの竣工に関するリリースで強調していた、「技術と金融の融合」というのは、そうした取り組みを指すのでしょうか。

渡邉 グループ内の太陽光発電所のほとんどで、プロジェクトファイナンスによって融資を受けるスキームを採用しています。欧州の発電所はほぼ、そのスキームで建設されており、これによって、少ない手持ち資金で太陽光発電所を開発、運用しています。当初から、その事業モデルを日本に持ち込もうとしました。

 しかし、日本では馴染みの薄い事業モデルだったため、当初は、金融機関が様子見の姿勢をなかなか崩しませんでした。FITという制度についての認知が少なく、理解してもらうまでに、相当な時間を要しました。その状況で、資金力のある大手企業がロケットスタートしていきました。

 また、建設地の獲得において、高い買取価格を前提とした賃料の引き上げ競争に巻き込まれてしまい、われわれが理想とするキャッシュフローのモデルとはかけ離れた案件が増えたことも影響しました。

 FITの施行が決まる前から、各地の地方自治体に対して、もし日本でFITが施行されたら、遊休地を使った太陽光発電に取り組ませてほしいと、交渉してきました。宮崎ソーラーウェイの太陽光発電所を見せながら、遊休地の活用によって得られる経済的な利点について理解してくれた地方自治体が少なくありませんでした。

 ただ、実際にFITが施行され、地方自治体が土地を貸す際には公募が必要になり、賃料を高く設定した企業に決定することが多くなります。事前に交渉していた地方自治体の担当者からは、後から謝罪されたりするのですが、こうした状況が、われわれにとって最も苦しかったことです。