
今回のテーマは、「長期の研究開発」である。筆者は1971年に本田技術研究所に入社し、クルマの安全を担当する部署に配属された。そして、技術者としてのキャリアのほとんどをエアバッグの開発に懸けた。エアバッグが「レジェンド」に搭載されたのは1987年なので、実用化までに実に16年間もかかった。
この話をすると、2つのことに驚かれる。1つは「ホンダはよく16年間も成果の上がらない開発を許し続けましたね。時間がかかる材料の開発でも10年が1つの目安ですよ」。もう1つは「小林さん、よく16年間もエアバッグを担当し続けましたね。成果がなかなか出ない中で、テーマ変更はなかったのですか」。この2つの指摘は、長期にわたるイノベーションで成功を引き寄せるために必要な本質的な内容を含んでいる。
本業に直結した価値
まず、ホンダはなぜエアバッグの開発を16年間も許し続けたのか、について。エアバッグを搭載したレジェンドは日米で爆発的なヒットになった。その当時、ホンダを除く日本の自動車メーカーは全てエアバッグの開発を中止していた。世界でも、開発を続けていたのはドイツDaimler社と米Ford Motor社くらいだ。なぜホンダはやめなかったのか。
ホンダの考えの根底には、毎年10万人もの方が交通事故で亡くなっている当時の状況を、エアバッグで何としても打破したいという強い想いがあった。加えて、当時ホンダは小型車メーカーだったことも大きな理由だ。繰り返しになるが、小型車はサイズと質量が小さいので、安全性に関しては大型車に比べて不利。しかし、ハンドルと運転者の間の距離は、大型車も小型車も変わらない。そのスペースを使って乗員を保護するエアバッグは、小型車であっても不利ではないのだ。
開発では、技術のハードルが高く、暴発/不発による重大事故のリスクがあまりに大きかったので、何回も中止の危機にさらされた。それでも死亡事故を減らすという想いに関しては、おやじ(本田宗一郎のこと)も研究所トップの久米是志さん(後のホンダ3代目社長)も、全くブレることがなく共有し続け、中止の危機を何とか切り抜けることができた。
もう1つの指摘である、筆者が16年間エアバッグを担当し続けた理由について。それは、ハイリスク・ハイリターンの開発は腰掛け仕事では決してできないからだ。当時、エアバッグの暴発で死亡事故が起きたら、会社が潰れるとみんな思っていた。もしあなたに、そんなエアバッグの開発責任者のお鉢が回ってきたらどうだろうか。普通ならそんなリスクを取りたくないはずだ。3年後に担当替えがあると思ったら、本気で実用化を目指さないかもしれない。
〔以下、日経ものづくり2013年12月号に掲載〕
中央大学大学院戦略経営研究科 客員教授