筆者が編集長になって掲げた方針の1つが、記事で取り上げる技術や市場の範囲を広げることでした。エレクトロニクス技術を活用する動きがさまざまな産業に広がり、それを受けて新たな方向性の技術開発が活発になると見込んでいたからです。
従来の記事の概念を打ち破ろうと、編集会議で極端な例を幾つか挙げました。その1つが「大人のエレクトロニクス」でした。「アダルト」と言い換えた方が、ニュアンスが伝わるかもしれません。
実は今回の特集記事の中で、その一端をご紹介するチャンスがありました。しかし、不快に感じる読者がいるかもしれないと判断して、最終的には取り下げました。記事中にも一部、アダルトコンテンツに関する記述がありますが、実際にはもう少し踏み込んだ開発例があったのです。
特集の第2部で紹介するように、人は画像や音声に加えて、別の感覚を刺激されると「プレゼンス(sense of presence、存在感)」を感じるといいます。本誌と組込みシステム技術協会が8月末に開催した「国際ロボットカンファレンス2014」では、アンドロイドの研究で有名な大阪大学の石黒浩教授が、人と同様な存在感を実現する秘訣をこう紹介していました。曰く、「声+体」「匂い+体」など2つのモダリティー(様式)を使って表現することだと。
だとすると、高精細な音と映像に触覚までを加えた「大人向け仮想現実(VR)システム」は、本物と見まごう体験をもたらすことになります。記事には登場しなかった開発品はこうした方向を目指すものでした。
新技術の登場には必ず負の側面が伴います。リアルな体験を再現する装置に、過剰にハマる人々が現れるのは間違いないでしょう。かつてのテレビ、ゲーム機、インターネットのユーザーと同様です。それでも、この技術に磨きをかけるべき理由は、これまで人類が知らなかった新たな感動を発見し、世界をさらに豊かにする可能性があるからだと、個人的には思います。
その鍵を握るのは芸術家でしょう。映像や音楽、文学や美術の分野では、今なお新たな表現が生まれ続けています。VRという格好の手段を手にした彼ら彼女らが、想像を超えた知覚の扉を開くのは間違いなさそうです。中でも「大人の領域」は、日本の得意分野かもしれません。例えば文学では、紫式部から村上春樹まで、海外でも名高い巨匠の作品は行間から立ち上る淫靡な香りと不可分です。