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――その1年の間、なかなか思うように実験ができなかったんですか。

(写真:堀 勝志古)

天野 いえ、実験はしていたんです。実験はしていたんですけど、やはり新しい装置に合った条件でいきなりデバイスを作るというのは、これはどんな人でもたぶんできません。やはり結晶成長の条件を一つ一つ詰める必要があります。ですので、この試行錯誤に時間がかかります。

――実際、日亜さんの発表をご覧になったとき、どのように感じられたんですか。

天野 まあ、やられたなという(笑)。

――もし、ずっと名古屋大学で同じ装置だったら、少し違う結果になっていた。

天野 あるかもしれないし、ないかもしれません。でも、やはり日亜化学工業さんのグループはすごいですよ。すごく実験しているなと思いました。我々が例えば3年かかってやったのも、1年でやってしまうとか。非常にハイスピードでやられていました。企業の集中力の強さですね。

――では、青色LEDに関しては日亜化学工業を通じて、日本企業の集中力というか、商品化に対する集中力の強さを感じたと。

天野 抜きんでていたと思いますね。当時は強い海外企業もいましたが、そういったところに先んじて、日本企業の日亜化学工業が実用化してしまった。それは今から考えるとやはりすごかったと思います。

――ここまでお話を伺っていますと、研究者の熱意や集中力がブレークスルーをもたらしたと感じました。

天野 常にp型をどうしようというのが頭にあったから、本を開いたときに、「あ、これだ」と思えたんです。それがなければ、ひょっとして気が付かなかったかもしれませんね。ですから、(偶然のできごとを)見逃さないということが大事です。そして、きちんと論理的に考えて実験をするということも大切だと思います。

――そこを突き詰めていけば、時間はかかったとしても必ずゴールにたどり着くであろうと。

天野 うーん、そうですね。今回はたまたまですけど、未来のビジョンが見えていたというか、GaNを使ったら絶対に青色のLEDやレーザーを実用化できるというのが何となく見えていた。だから、自分の中では、やっていることは当たり前だし、できるのも当たり前ぐらいの気持ちでやっているんですよね。

――ただ、当時はZnSeをはじめ、GaN以外の材料の方が有望だと思われていた。そこで、GaNに確信を持てた理由は何だったのでしょうか。

天野 それはやはり、部分部分では非常にいいGaN結晶を作製できていたということが大きいです。それを広げればいいわけですから。ですから、いずれはできるだろうと思いながら研究を続けていました。

――当時、いつごろから青色LEDを実用化できそうだと思われましたか。

天野 バッファ層の上にきれいなGaN結晶ができ、次にp型GaNを作製できた。続いて、当時NTTの松岡隆志先生(現・東北大学教授)がInGaNで青色発光を確認してから、これでもう実用化に必要なものは一通り揃ったということで、実用化を急がなきゃという感じになりました。

 ただ、当時狙っていたのは、パイオニアさんもそうですけど、レーザーですけどね。当時の次世代光ディスク、今のBlu-ray Discの記録再生用の光源として。