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マレーシア金型工業会の位置付け

 マレーシアには現在、「マレーシア金型工業会(Malaysia Mold & Die Association、MMADA)」がある(図2)。しかし15年ほど前までは、マレーシアには全国組織の金型工業会は存在していなかった。

図2●マレーシア金型工業会(MMADA)の事務所
MMADAは中華街の一角にある。手前のビルの3階が工業会の本部だ。
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 当時、アジア地域には日本主導で設立された「アジア金型工業会協議会(FADMA)」があり、そこにはアジア各国を代表する、それぞれ1つの工業会が参加していた。しかし、マレーシアには地域別に大小合わせて20以上の金型に関連する工業会がある状況で、もしマレーシアのある地域の金型関連工業会が参加すれば、他の地域の工業会はFADMAには参加できないことになってしまう。そこで、クアラルンプール周辺の金型関連企業が参加していたセランゴール州金型工業会が中心になり、マレーシア全域に存在していた金型工業会を統一したMMADAを設立し、FADMAに参加することになった。

 当時、マレーシアの金型産業を中心とした素形材産業は、華僑系企業がその90%以上を占めていた。実際、現在のMMADAの会長は中国系の人である(図3)。

図3●マレーシア金型工業会(MMADA)会長の張添(Chong Thim)氏
同氏は機械商社の社長でもある。
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 一方、政府は産業の中心を現地人企業にすべく、現地人優遇策である「ブミプトラ政策」を進めていた。そのため、金型産業の集約化に対して協力的ではなく、むしろ華僑系企業が国を代表して国際舞台に立つことに対しての抵抗感があった。全国的に組織された工業会といえども、国の正式な“お墨付き”が無いままの中途半端な状態での船出となってしまったのだ。

 しかし、その頃のマレーシアはクアラルンプール周辺に多くの日系電機・電子企業が進出しており、特に家電製品の製造に欠かせないプラスチック金型企業が集結していたため、クアラルンプール金型工業会は実質的にマレーシアにおける金型産業の主導権を握っていた。

 そのため、クアラルンプール金型工業会が主体の、一体的な工業会の設立に対する表立った反発はなかったが、地方の金型企業には不満が残り、今でもMMADAへの参加を拒んでいる企業は少なくない。

 その後、2000年以降はマレーシアに進出した家電分野などの日系企業が、マレーシアにおける人件費の高騰や、中国市場の急速な拡大により、マレーシアにおける生産拠点を、急激に中国本土各地にシフトし始めた。特に、進出日系企業が多かったセランゴール州では、一時的ではあるが、いわゆる「産業の空洞化現象」が発生した。

 しかし、マレーシアの金型企業の中心が華僑系であったこともあり、得意な中国語を駆使して、中国へ移転した日系企業向けの輸出拡大を図った。そのため、日本で発生したような「セットメーカーの空洞化=産業の衰退」には直接結びつかず、安定的な経営を続けることができた。

 しかしその後、頼りにしていた中国市場で現地生産・現地調達が可能になり、マレーシア金型企業の需要先として成り立たなくなってきた。結果として、マレーシア国内にも、中国にも市場がなくなってしまったのである。