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 2003年,キヤノンは低価格製品の生産地を中国から日本に切り替えると発表した。この発表に面食らった企業は多いはずだ。当時は「日本と中国のすみ分け」がなされていて,日本は高価格製品,中国は低価格製品というのが一般的な認識だったからである。それでも,このときの同社常務取締役で生産本部長(現在は常務取締役で光学機器事業本部長)の市川潤二氏は「中国に工場を移す前に,すべきことはたくさんある」と自信に満ちていた

 2003年夏,『日経ものづくり』の前身である『D&M日経メカニカル』の取材での発言。以下,特に断りのない限り,市川氏の発言は当時の取材でのものとする。

 生産地切り替えの対象となったのは,主に日本市場向けのフィルムカメラやインクジェット・プリンタである。輸送費などを考慮すると「日本で生産する方が中国で生産するよりもコストが低くなる可能性が高い」(同氏)と判断した。

 ただし,キヤノンはこれら低価格製品の生産を,そっくりそのままの形で日本に戻そうとしたわけではない。国内回帰の前提は自動化ラインでの生産。当時,トナー・カートリッジの生産で実現していた「24時間365日」の完全自動化を,主要部品の生産にも適用する考えだった。

 さらに,工作機械や計測器,治工具などの内製や,金型の国内調達率・内製比率の拡大も打ち出した。つまり,海外よりも国内,外注よりも内製という二重の“内向き志向”への転換である。「社内で造った方が利益を増やせると気づいた」(同氏)。そして,その気づきの発端は,同社が1997年に始めたセル生産にあった。

数千万円の測定器を数十万円で内製

 キヤノンのセル生産は,レーザビーム・プリンタを製造する長浜キヤノンに始まり,約2年で全社に浸透したという。コンベヤ生産からセル生産への移行過程で同社が気づいたのは「生産工程には無駄がたくさんあり,それが利益を損なっている」(同社の市川氏)ということ。これは,同社が国内生産を見直すきっかけでもあった。

 例えば,ラインで使う測定器や治工具。セル生産は,コンベヤ生産に比べて作業者1人の担当工程が幅広い。従って,セル生産とコンベヤ生産を同じ人数でこなす場合,ある特定の工程を担当する作業者の数はセル生産の方が多くなる。1人セル生産なら,すべての作業者が同じ工程(=全工程)を担当するわけだ。それが意味するのは,セル生産ではコンベヤ生産よりも多くの測定器や治工具が必要になるということだ。仮に,こうした測定器や治工具の追加によるコスト上昇分が,セル生産導入によるコスト削減分を上回れば,導入の意味がない。

 そこでキヤノンが採った策は,測定器や治工具を外注から内製に切り換えることで,コスト削減を図るというもの。具体的には,内製費用を外注時の購入費用の1/10にすることを目指した。果たして,この策は予想以上の効果をもたらした。コストが1/10どころか1/20,1/30になった例が続々と出てきたからだ。購入すれば数千万円もする測定器を,数十万円で内製できた例もあったという。

セル生産の“次”をにらむ