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SOIプロセスの開発が難航

 だが,この時期,AMD社は再び苦難の時期を迎えていた。というのはIntel社が「Pentium 4」を市場に投入し,動作周波数と性能の大幅な底上げを図ってしまったからだ。そこで2001年6月の「Palomino/Corvetteコア」に続き,2002年6月にはプロセスを0.13μmに縮小した「Throughbredコア」を市場に投入する。ところが当初このコアは,動作周波数がまるで上がらないといった問題を抱え,配線層を1層増やした新バージョンが後から投入される。本来この時期は,次の「K8」こと「Athlon 64」を製品化する時期だったが,ここから採用予定だったSOI(silicon on insulator)技術を導入した0.13μm プロセスの開発が難航。このため予定以上にAthlon XPを延命せざるを得なくなった。このときSOI技術と同時に0.13μmプロセスを導入する予定だった「Bartonコア」では,SOI技術の採用をあきらめ,微細化だけを進めた。最先端の0.13μmプロセスの採用と,L2キャッシュの倍増によって性能の底上げを図り,その場を凌いだ。

 サーバー向けAthlon MPは,市場で健闘はしたものの,Intel社のシェアをそれほど大きく崩すには至らなかった。一方,Mobile Athlon 4は,Intel社の「Mobile Pentium III」や「Banias」こと「Pentium M」ほどの低消費電力を実現できていなかった。しかも,ラインナップがそれほど豊富に揃わず,モバイル向けチップセットなどを用意できなかったことなどから,採用はごく一部に留まった。Duronも当初は健闘したものの,CeleronがPentium 4ベースになったことで性能差が大きくなり,結局「Applebredコア」を最後にブランドごと消えてしまうという,ちょっとかわいそうな運命を辿ることとなった。

組み込み向けにも製品を展開

 さて,ここからは組み込み向けの話である。先に触れたElan 520に続き,1998年11月にはK6の組み込み向けである「K6-E」,1999年7月にはK6-2の組み込み向けである「K6-2-E」,2000年9月には「K6-III」の組み込み向けである「K6-III-E」がそれぞれ市場に登場する。これらはいずれもデスクトップ向けのK6/K6-2/K6-IIIとほぼ同一スペックだったが,組み込み向けのユーザーのために長期供給を保障していた。組み込み向けにはK6-IIIとほぼ同時期に登場したK6-2-E+といった製品もある。これはK6-IIIがベースではあるが,L2キャッシュが128KBとK6-IIIの半分にした品種である。

 AMD社は,この時期にはごくわずかながらモバイル向けにK6を供給していた。K6-IIIはオンダイでL2キャッシュを搭載した結果,ダイサイズが大型化。K6-2のチップ面積は81mm2だったのに対してK6-IIIのチップ面積は135mm2になった。結果として歩留まりが大幅に低下した。そこで,K6-IIIでL2キャッシュに欠陥があるダイのうち,128KBが確保できるものをK6-2+として製品化した。これの組み込み向けがK6-2-E+となる。これらの製品は,K6クラスのパフォーマンスを必要とし,かつ空冷ファンによる冷却が可能なプリンタやPOS機器などのシステムに利用された。だが,この当時はこれほど高性能なプロセサに対するニーズはそれほど多くなかった。その一方でAMD Elanの性能ではユーザーの要求にはこたえられなくなってきた。

さらなる買収で競争力強化を狙う

 このギャップを補うため,AMD社は2002年2月にやはり独立系ベンダーである米Alchemy Semiconductor Inc.を買収した。実は,Alchemy Semiconductor社が展開していたのは「MIPS32コア」をベースにした製品だった。当時Intel社は,DECから買収した「StrongARM」と,これの後継製品である「XScale」というARMベースの製品を展開していた。つまり,Alchemy Semiconductor社の買収は,これへの対抗策と見ることもできる。だが,結局相乗効果を出すのは難しかったようで,2006年6月には米RMI Corp.(旧Raza Microelectronics Inc.)に売却してしまう。

 ちなみにこのRMIを設立したのはAtiq Raza氏である。同氏は元々AMD社のCOO。その前はNexGen社の社長兼CEOを務めていた。Raza氏はNexGen社の買収に伴いAMD社に入社。1998年にCOOに昇格するが,1999年7月にAMD社を去る事になる。その理由は,AMD社がFab30を建設するか否かで当時の会長であるW.J.Sanders III氏と激しく対立したためだった。Sanders氏は"Real men have fabs."という有名な言葉で知られるようにFab30の推進派。一方のRaza氏はFab30否定派だった。それから7年後,再びRaza氏がAMDの部門を引き受けるというあたりに,業界の面白さというか不可思議さを垣間見る事ができる。