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新しいことをやりたい

20年以上も在籍した日亜化学工業を去ることになって,後ろ髪を引かれる思いはなかったですか。

中村氏  それはないですよ。もうやることがなくなったんですよ,日亜では。1999年10月ころ,高出力青紫色半導体レーザの開発も大方メドが立った。もちろん歩留まりを上げるといった課題はあるけど,それは研究者の僕が取り組むテーマではない。僕がやるべきことはもう何もないんです。それなら日亜を出て,まったく新しいことに取り組もうと思ったわけです。生活の安定を思えば,日亜化学工業に残っている方がいいですよね。食いっぱぐれることはない。楽だし。特許収入があるから会社が傾く心配は当面ない。僕も適当に昇進するだろうし。でもそれじゃ,何も面白くない。やることがないのに会社に残っていたら「アホ」になるだけですよ。

大学より企業の方が向いている

日本から米国へ,民間企業の技術者から大学の教授へ。随分と思い切った決断ですが。

中村氏  いやー,本当はね。大学には行きたくなかった。講義をやらなくちゃいけないでしょ。そんなことした経験はないし。そもそも人に教えるっていうの,苦手なんですよね。自分がやりたいのは,モノを作ることですから。大学よりも企業の方が向いているのはよくわかっているんです。

では転職先として本当に希望していたのは。

中村氏  米国の企業に行きたかった。教育に気を配っている時間があるんだったら,どんどん前に進みたい。その方が自分の性に合っている。

当然,企業からも勧誘がありましたよね。

中村氏  ええ。5社くらいだったかな。なかには,プロ野球のイチロー選手並みの年報を提示してくれたところもある。

5億円ですか?

中村氏  まあまあ,…(中略)…

学会の折りに米国の技術者と話していると,彼らがどん欲な野心家であることがよくわかります。大学を出たばかりの若手技術者が「(バスケットボール選手の)マイケル・ジョーダンは,もっと給与をもらうべき」と言い切る。自分はそれに負けない金持ちになれる思っているからこそ,そんな発言が出るわけですよね。業績を上げた個人は金銭面で十分な評価を受けるべきというマインドがあらゆる技術者の心に浸透している。

日本に戻る予定は。

中村氏  米国に永住するつもりで行きます。Santa Barbara校からは,ずっといてくれといわれている。

そこまで決断された理由は。

中村氏  つきなみな言葉ですけど,アメリカン・ドリームですよ。米国が技術者を高く評価してくれることを知って,それなら …(中略)…