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 このデモが、Jobs氏を触発したという。同氏はインタビューで話している。「ちょうど電話を開発しようと考えていた頃だった。輪ゴムみたいに動くスクロールを見て思ったんだ。そうか、これで電話を作れるじゃないか」。これを契機に、タブレット端末のプロジェクトを棚上げし、携帯電話機の開発に乗り出したらしい。

 使いやすさを重視するApple社にとって、iPodを携帯電話機に統合する際に、タッチ・パネルはこの上ない手段だった。音楽プレーヤーと携帯電話機のそれぞれの利用シーンで異なるUIを提供できるからだ。

 iPhoneを発表した2007年1月の講演でJobs氏は、旧来のスマートフォンが備える物理的なボタンが付いたキーボードをやり玉に上げ、こう語っている。「コントロール・ボタンがプラスチックの中に固定されている。すべてのアプリケーションで同じなんだ。個々のアプリケーションは、ちょっとずつ違うUI、ちょっとずつ異なるボタンの組み合わせを望んでいるのに」。

後から付いてきたApp Store

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 iPhoneを優先したため、iPadの開発は後回しになった。これはiPadの普及に吉と出たと言えそうだ。iPhoneよりも後に製品化した結果、普及を強力に後押しする味方を得ることができたからである。

 それは、iPhoneで導入したアプリケーション・ソフトウエア(以下、アプリ)を追加する仕組みだ。iPadではiPhone向けアプリをそのまま使えると同時に、ソフトウエア基盤の共通化によって世界中に広がったiPhoneアプリの開発者を丸ごと取り込むことが可能になった。

 実は、外部企業によるアプリの開発は、iPhoneに「後付け」された要素の一つである。当初、Apple社はiPhone上で動作するアプリの開発を許していなかった。2007年6月の初代iPhoneの発売直前にJobs氏は「第三者がアプリを開発できる、うまい対応策を見つけた」と語っている。それは、現在のようなネイティブ・アプリではなく、Webブラウザー上で動作するアプリケーション・ソフトウエアだった。

 Jobs氏がこの発言をしたわずか4カ月後に、同社は方針を転換する。iPhone向けのネイティブ・アプリを開発するためのSDK(ソフトウエア開発キット)を外部に提供すると発表した。背景には、開発者の「反乱」があった。Apple社の許可を得ずにiPhone上でアプリを動かせるようにする“勝手アプリ”の開発ツールが、インターネット上にいくつも登場したのである。2008年7月にアプリ配信サービス「App Store」を開設し、iPhone向けアプリの市場は爆発的に拡大した。

 この10年を回顧すると、Apple社の成功の裏には想定外の出来事もあったことが分かる。ふとした思い付きや、開発者や消費者の思わぬ反応を有効に生かせたことが、業界を先導する現在の立場につながったと言えそうだ。これを一歩でも間違えれば、同社の躍進は途絶えていたかもしれない。