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青色LEDを最初に光らせた赤崎氏と天野氏(上)から続く]

1986年に良質なGaN単結晶を実現

 GaN単結晶の成長実験のため、専用のMOCVD装置の設計と製作に取り組んだ1人が、1982年に赤崎研究室に進んだ当時学生の天野氏である(図)。まだ誰も成功していないpn接合の明るい青色LEDの研究に挑戦の意欲をかき立てられ、同氏は赤崎研の門を叩いたという。天野氏はこのMOCVD装置を製作したときのことをこう語る。

「当時はGaN専用のMOVPE装置そのものが市販されていなかったこともあり、一年先輩の小出康夫氏(現物質・材料研究機構)とともに、MOVPE装置を作ることから始めました。基板加熱用の発振器は以前から研究室にあった古いものを転用し、高価な石英部品のうち、1/4インチの石英管などは研究室の予算で購入するほか、60センチの高価な石英管などはある企業の方から寄贈してもらったりして実験を行っていました。また、最低限必要なガス流量計などの部品は研究室の予算で購入しましたが、これらの組み立ては全て自分たちで行いました」(天野氏)。

図●天野浩氏が使ったMOCVD装置
図●天野浩氏が使ったMOCVD装置
上方の1本の石英ガラス製噴射管から斜めに傾けたサファイア基板に向かって原料ガスを供給する。原料ガスの流速は従来の100倍となる500cm/s。従来の流速5cm/sでは、高温になったサファイア基板の熱で対流が起こり、上方から流す原料ガスがサファイア基板を避けて流れていたことを突き止め、天野氏が自ら改良した。
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 こうして自作のMOCVD装置は完成したが、良質なGaN単結晶の作製は難航した。天野氏は2年間、元旦以外のすべての日をGaN単結晶の成長実験に費やした。基板温度や反応真空度、反応ガスの流量、成長時間などの条件をさまざまに調整し、1500回を超える実験に臨んだが、良質なGaN単結晶を作ることはできなかった。

 だが、こうした実験を繰り返す中で、天野氏はガスとその流速に着目した。そこで、発煙筒の原料を使い、MOCVD装置の中で原料ガスがどのように流れているかを観察したところ、原料ガスがサセプタ(サファイア基板を置く台座)を避けて流れていることを発見する。この実験からGaN単結晶を作るために基板を高温にするが、その熱で対流が起き、原料ガスが基板にたどり着かないことを突き止めた天野氏は、原料ガスの流速を従来の秒速5cmから秒速500cmへと100倍に高めることにした。

 赤崎氏と共に武田賞を受賞したときの講演で、天野氏はこう述べている。

「従来、ガスの流速は5cmと非常に遅かったが、それを100倍の速さで供給することにした。このとき苦労したのは石英の細工だ。当時は予算がなく、外注すると時間がかかるため、この石英の細工は全部自分で行った。最初は難しかったが、何十回と繰り返すうちに思い通りに細工できるようになり、ガスをきれいに供給できるようになった。当時、Gaの原料とアンモニアは反応しやすいから分けて供給するという常識があったが、それをあえて破り、ガスの流量をできる限り増やすために一緒に供給した。加えて、ガスの流速もまた当時のMOCVD装置では常識外れの高速にして供給した。さらに、自作したサセプタも斜めに切ることできれいなガスの流れを実現した」。

 こうしてMOCVD装置のガスの制御性を高めた天野氏が、先の低温AlN緩衝層を使い、世界で初めて良質なGaN単結晶を作製したのは1985年のことだ。

 興味深いのは、この成功は偶然から生まれたことである。1985年のある日、いつものようにGaN単結晶を成長させようと、天野氏はMOCVD装置の炉の温度を1000℃以上に高めようとしたが、その日はたまたま炉の調子が悪く、温度が700~800℃程度までしか達しなかったという。当然、この温度ではGaN単結晶を成長させることはできない。だが、ここで天野氏の頭には「Alを入れると結晶の品質がよくなるかもしれない」(「『青色』に挑んだ男たち」中嶋彰著、日本経済新聞社)という考えが思い浮かんだ。そこで、天野氏はGaN単結晶を成長させるのではなく、サファイア基板上にAlNの薄い膜を成長させてみた。ところが、そのうち炉の調子が戻ったため、炉の温度を1000℃に高めて今度はGaN単結晶を成長させた。それを炉から取り出して顕微鏡で確認すると、きれいなGaN単結晶ができていたというわけである。

 サファイア基板の上にいったん低温AlN緩衝層を作り、その上にGaN単結晶を作製する。天野氏はこの方法で良質なGaN単結晶を再現性良く作れることを確認した。この良質なGaN単結晶の実現が、青色LEDの発明における「ブレークスルー技術」の1つと評価されているものだ。