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2007年7月から2010年3月まで日経 xTECHの前身サイトの1つ「Tech-On!」で仲森智博編集委員(当時、現・日経BP総研 未来研究所 所長)が執筆したコラム「思索の副作用 」から今でも人気の高い5本を選んで再掲載しました。

 お会いするのは何年かぶりだから、さすがにちょっと老けたかなと思った。でも、せっかちに歩く姿も、甲高い声で熱く語る姿も、昔とちっともかわらない。「1993年からだから、ずいぶん長いですよね」。そう言われて指を折ってみれば15年。その間に、何度も彼に会い、語り、彼と彼の成果について実に多くの記事を書いてきた。

 彼とは、中村修二氏のことである。最初に出会ったとき彼は、地方の中小企業に勤務する一技術者だった。ところが、1年も経たないうちに、カリスマ研究者と呼ばれるようになり、やがて「日本としては初めての企業人ノーベル賞候補」と目されるようになる。その彼から「会社を辞める」という連絡をもらったのは、1999年末のこと。地方企業の技術者から米有名大学の教授へと転身し、一躍全国区のヒーローになった。

 その彼が古巣の会社からトレードシークレットで訴えられ、その反訴というかたちで、いわゆる「中村裁判」が始まる。その当初は、「技術者の地位向上を訴え古巣企業と闘う戦士」、つまりは強者に立ち向かう弱者として技術者から熱狂的な支持を受けた。ところが、一審判決が出たあたりから世間の雰囲気は一変する。「部下の成果をわがものにした上司」「大した発明でもない特許で地方の中小企業に巨額の補償金を要求するガメツイ人」、つまり弱者から搾取する強者といったイメージが流布され始めたのである。そして、裁判が痛み分けのような結果で終わり「褒貶半ばする」といった状況のまま、世間は少しずつ彼のことや、あの裁判のことを忘れていくのだろう。

それが彼を熱くする

 ともあれ、目まぐるしい15年だった。その間に多くの事件があって、そのたびに彼が世間に与えるイメージは変わっていった。けど、彼自身のどこが変わったわけでもない。言っていることだって同じ。少なくとも、会社を辞めてから彼は一貫して同じことを願い、訴え続けてきたように思う。

 今でも訴えたいことの一つは、もちろんあの裁判のことである。よほどその結果には不満が残るようで、それに関して語り始めたらとまらない。しかしそれらは、ちょっと書けなかったり書いても詮ないことだったりするので、とりあえず置いておこう。そして、それに負けないくらい彼を熱くさせるのが、技術者の地位と処遇に関する問題である。もう企業人でなくなって随分年月が経つので、その思いも少しは冷却したかと思っていたのだが。

 日本でお会いした数日前、彼は中国に立ち寄り、そこである企業家と会食する機会があったらしい。その企業家は中国人なのだが、最初は日本で起業し成功を収め、その後中国に帰り、現在は中国で企業を興して経営しているのだという。

 「彼が言うわけですよ、日本で会社を経営するのは楽ですよと。業績が悪くなったら給料を減らせばよい。また悪くなったらさらに削る。こうしてどんどん給料を減らしていっても、社員はほとんど会社を辞めない。こんなに会社経営が楽な国はないって。中国で同じことをやったら、社員はあっという間に霧散して一人もいなくなる。米国だって同じ。だから、経営者は第一に社員の処遇を考えなければならない。処遇の改悪はぜったいにできないから、本業で業績を上げることを真剣に考え、取り組まざるを得ないわけです」

 だから「会社を辞めよ」と、ことあるごとに中村氏は技術者に訴える。そうしない限り、経営者が考えを改めることはなく、技術者の処遇が改善されることはないと。

「給料は安くてもいいんです」

 その話を聞いて思い出したのは、大手エレクトロニクス・メーカー主催のパーティーでの一コマだった。ある役員が熟柿(じゅくし)臭い息を吐きながら私にこう言ったものだ。

 「ものづくりは実に面白い。その面白いことを毎日できるわけだから、技術者の給料は安くてもいいのです。それで十分幸せなんですから」

 やはりそういう考えだったのかと、ある意味納得した。いわゆる「理系離れ」を阻止する目的で、「小中学生を対象とした科学の面白さを体験するイベントを開こう」などと言い出す学者さんや経営者の方がおられるが、その発想も根っこは同じだろう。つまり、それが面白いことであれば、どんなに待遇は悪くても人はそれをやってくれるのだと信じているのである。

 そのこと自体は、否定できない。有名なところではマーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』に出てくる「ペンキ塗りの話」などというものがある。トムは、いたずらの罰として塀のペンキ塗りの仕事をおばさんから言い渡される。その労働から逃れるために彼は一計を講じるのだ。トムをからかいに来た子供たちに「ペンキ塗りは労働ではなく面白いこと」だと信じ込ませ、進んで彼らにそれをやらせてしまう。無償どころか、大事なおもちゃという代償まで払わせて。

 よく「ひどい」と聞くのがテレビ番組制作に携わるADの仕事である。私の友人もそれを経験したのでよく聞かされるのだが、寝る時間以外はすべて労働というほど働き、それで給料はびっくりするほど安い。そんな生活を続けていても、正社員になってまともな処遇を受けられるようになれるのはごく一握りなのだという。それで文句があれば辞めればいいのだが、ほとんどの人はその仕事が面白いから辞めない。もし辞めたとしても、その仕事をやりたい人はいくらでもいるから、人手不足になることはない。こんな状況だから、処遇が改善されるはずもない。

効かない抑止システム

 企業の経営者が、「その習性を利用しない手はない」と考えるのは必然か。けれど、それをある程度抑止できる制度が、昔は機能していたのではと思う。たとえば労働組合だ。団結して処遇改善を訴えることによって「経営者の思い通りにはさせないぞ」というシステムである。

 ただし、少なくとも私がメーカーに在籍していた80年代後半には、それは機能不全に陥りつつあったように思う。かつていた会社は、社員は残らず組合員になるというユニオンショップ制を敷いていた。それでいて、労働組合は一つしかないのである。組合からすれば、競合相手はなく、しかも全員が自動的に組合員になってくれるという何とも極楽のような状況である。これでは、企業努力ならぬ「組合努力」がなされるはずもない。

 いや正確にいえば、第2組合的な勢力はあった。けれど、徹底的に弾圧されていた。例えば、執行委員は組合員による選挙で決めるのだが、その勢力からも立候補者が出る。けれど、その演説すら一切聴くなという通達が回るのである。実際、昼休みなどに開かれる立会演説会では、「組合公認候補」の演説はみなが聞く。聞かなければならないのだ。しかし、「非公認候補」が壇上に立った瞬間、逃げるようにみなその場を離れるのである。

 その光景があまりに不気味で、かつ「非公認」の人が何を言うのか興味もあったものだから、居残って聞いていたことがある。するとそのすぐ後、上司に呼ばれて注意というか、アドバイスを受けた。そんなことをすると出世が遅れるぞ、という。もちろん、親切心で言ってくれているわけなのだが、「何で私が居残っていたことを知ってるの」と、ちょっと驚いた。どうやら組合は、誰がその場に残って非公認候補の演説を聞いていたかをチェックしていたらしい。その情報が会社ルートで流されたのである。

こんなことで評価を下げても・・・

 こんなこともあった。貧乏だったので本は古書店でしか買えなかったのだが、ある本を読んでいて、前の持ち主がしおり代わりに使ったとおぼしき絵葉書が挟まっているのを発見した。それは毛沢東の肖像をモチーフにしたアンディ・ウォーホルの作品。彼の絵が嫌いではなかった私は、それを喜んで机の前に張っていたのである。その件に関しても、同じルートで「アドバイス」を受けた。ウォーホルではなく、毛沢東が組合的にはNGだったようだ。

 それに気をよくした私は、追試をこころみることにした。組合主催のソフトボール大会に職場の有志で参加することになったのだが、そのチーム名を「重慶棒球団紅旗隊」とし、登録しようとしたのである。今となっては想像しにくいが、当時の中国はバリバリの共産主義国家だった。だから、その国を賛美する人は「思想的にもそっち方面」と見做される可能性がある。それをねらったわけだが、その通り、NGだった。

 二度目だったものだから上司から会議室に呼ばれ「お前なぁ、せっかく本業で頑張ってるのに、こんなことで評価を下げてもったいないと思わないのか」と説教された。「思想的信条があってやってることならしょうがないけど」とも言われたけど、そんなものはほとんどなく、ただ天邪鬼なだけである。だから、さすがにこれ以上の冒険は自粛した。

 旧職場の状況がすべてとは思わない。けれど、少なくとも同じ旧電機労連傘下にあったエレクトロニクス・メーカーの状況は、程度の差こそあれ、陰で「御用組合」と呼ばれるだけの性格を備えた存在だったのだろう。少なくとも私は当時、「経営者を監視することよりも、経営者に代わって不穏分子をあぶり出すべく社員を監視することに熱心な組織」と組合をみなしていた。でもまあ、それは過去のことである。だが、それからずいぶん年月が経ったけど「組合の経営者を監視するという機能が強化、健全化された」という話はあまり聞かない。

お願いだからアピールしないで

 こうした状況が変らないのは、技術者が現在の処遇に満足しているからなのだろうか。私には、そうは思えない。先日もこんな事件をネット系のニュースサイトで知り、その意を強くした。

 ニンテンドーDS用のソフト『脳を鍛える大人のDSトレーニング』は、「販売されたDS用ソフトの1割弱は脳トレ」というほどの大ヒットとなり、それを監修した東北大学の川島隆太教授には巨額の監修料が入ることになった。ところが、川島教授はその全額をそっくり東北大学に納めているらしい。英国のニュースサイトによれば、その報酬額は24億円にのぼるという。

 この件に関して、「川島教授は立派だ」との感想を多くのユーザーがもったようだが、『はてな匿名ダイアリー』には、そのこと、さらにはこれが世間で美談として語られていることに対する批判意見が載っていた。こんなことがあると「(技術者や研究者は)好きでやってるんだから、待遇は悪くてもいい」という雰囲気が強まるのではとの危惧である。これを受け、「お願いだから、理系の人間はカネも要らずに趣味だけやってると思われるようなアピールをしないでくれよ」という書き込みもあった。他のブログなどでも、同様の意見をちらほらと見かける。

 当然のことだけど、すべての技術者や研究者が「好きなことをやれるのだから待遇は問わない」と思っているわけではない。それでも、好きなことがやれるなら、まだしも救われる。ところが、現実にはそれさえも許されないことが多いと聞く。

 メーカー時代の、先輩研究者の話である。彼の専門は物性物理で、当時は半導体であるアモルファスSiの研究に従事していた。その知識と理論構築力は周囲の認めるところで、後輩の私なども憧れを抱いていたものだ。その彼は修士で就職していたのだが、ほどなく博士号を取得し、学会でも「顔」になっていった。

最精鋭部隊の行方

 ところが、それから10年ほど後に再会した彼は、まったく違う仕事をしていた。勤務先は子会社で、仕事はいわゆる間接業務。技術的な知識を生かす職場ですらない。名刺に刷り込まれた「理学博士」の文字が、なにやら空しい。事情を聞いてみると、会社が研究部門を大幅に縮小した結果だという。半導体に関しては、研究部門だけでなく事業部の開発部門もリストラの最中で、そちらに移籍することもかなわない。結局、こんな仕事をしているのだと自嘲気味に言う。

 「そんな仕打ちを受けても黙って会社にとどまっているのが悪いのだ。すぐに会社を辞めなさい」と、中村氏なら言いそうである。残念ながら彼の場合は、東京から離れられないという家庭の事情があり、「地方の大学なら行き先もあった」らしいが、それもかなわなかった。ただ、「地方でもかまわない」という人でも、転身を遂げられた人は極めて少ないらしい。

 理由は簡単である。ほぼすべての総合エレクトロニクス・メーカーが、歩調を合わせて研究開発部門を縮小し、同時期にやはり歩調を合わせて半導体事業部門の大リストラを敢行したからである。特に悲惨だったのが半導体プロセスを専門とする研究者や技術者だったようだ。

 「社ではプロセスで最先端を目指す体制を見直して、設計重視にシフトすると言い始めたわけよ。ウチだけならいいけど、どこも同じ。つまり、日本という国レベルでプロセス技術者が大量にあぶれてしまった。そんな状況だがら、専門の仕事を続けられたのはほんの一握りで、ほとんどの人たちは泣く泣く職場を後にして、違う仕事をやることになった。それでも、若い人はまだいい。けど、自分みたいな中堅以上の専門家は、つぶしがきかないから行くところがないんだよ」

 こうして、多くの該当中堅技術者たちは、営業や業務支援部門といった不慣れな部署に配属されていったのだという。実にもったいない話だと思う。半導体プロセスの研究開発部門は、かつての花形職場である。電子・物理・化学などを専攻した学生の多くが、当時花形だったエレクトロニクス・メーカーに就職し、その中でも選りすぐられた人たちが、憧れの半導体プロセス部門に配属され、日本の半導体産業が「世界一」と呼ばれるまでの隆盛を迎える戦力となった。

 そして、その「最精鋭部隊」が日本国内で一斉に、不要のものになってしまったわけだ。そのとき1社でも「うちは今後、他社とは違って半導体プロセスを強みに生きていく道を選ぶから、関連技術者を大募集する」と言っていれば、その最精鋭部隊をそっくり手中にできたはずなのに。

「皇居前で切腹しろ」

 もちろん、すべての技術者が泣き寝入りしたわけではない。それを不服とし、自らの専門技能を生かすべく会社を辞めていった人たちがいた。多くの技術者の証言によれば、その大きな受け皿になったのが韓国メーカーだった。こうした人材を大量雇用することで、韓国メーカーは日本メーカーが蓄積してきた技術やノウハウを、短期間で習得することができたのだという。その結果として、日本メーカーの半導体部門はさらなる苦境に立たされることになるのだが。

 一言でいえば、横並びの弊害である。半導体の権威である東北大学の大見忠弘教授に言わせれば、「それは経営者が頭を使わないから」ということになる。かつて大見教授は、このように嘆いておられた。

 「かつて絶大な人気を誇っていた電子系の学科は、今や理工系学部の中でも最低ランクですよ。その卒業生も、せっかく何年も電子工学を勉強しながらエレクトロニクス・メーカーには行きたくないという。誰がこんなことにしたのか。もちろん、歴代経営者の責任です。トップになるほど頭を使わなくなるようですな。本当のことを言う実力のある部下を左遷し、上司の顔色をうかがう調整型の部下ばかりを周りに置くからでしょう。そんな経営者は全員、皇居前で正座して腹を切れと言いたい」

 頭を使わないから、自分では決められない。だから、周りに合わせて自身の進路を決めてしまう。こうして、みんなで沈没していったというのが大見教授の指摘である。こうなれば、技術者は「自分の専門を生かすために会社を変える」というチャンスさえ奪われてしまう。海外にでも打って出ない限り、自身の技能を生かすべく会社を辞めることもできなくなるのだ。

 そんな話を現役の技術者にしてみたら、「いろいろあったから、昔とは随分変わったと思いますよ」と言われた。「オンリーワンとか独自性とか、そんな言葉が会議で出てくるようになっただけでも進歩でしょう」と。

やっぱり辞めるしかない?

 その一方で「あんまり変らないね」との声も聞く。最近、ある大学教授から聞いた話である。「よく国のプロジェクトや企業との共同研究を提案するんだけど、そのとき必ず聞かれることがあるんですよ。それは、『類似研究はあるか』ということ。米国では、このとき『ある』と答えたら提案は通らない。すでに他でやってることなら、うちでやる必要はないというわけです。けれど、日本では必ず『ある』と答えなければダメ。相手が国でも企業でも、『類似研究は盛ん』と言わないとテーマとして認めてもらえない。その風潮は、今でもあまり変わらない」

 変わらないのなら、変えるしかない。やはり中村氏の言う通り、会社を辞めるしかないのだろうか。どうせ会社にいても、いつかはスキルチェンジを強いられる。ならば、それを機に職場も変える。エレクトロニクス系、ソフトウエア系の技術者にとって幸いなのは、自動車関連企業などがその分野の技術者を大量に欲していることだ。技術トレンドから考えて、その傾向はしばらく続くだろう。IT系、ネット系の技術者だって大いにチャンスはある。保険、金融、流通など、多くの分野で専門知識を身につけた人材が求められているからだ。何も、メーカー間の転職にこだわることはない。

 こうして、技術者の世界に「自分を生かすために職場を自身の判断で変えるのは普通のこと」という風潮が根付づいたとしても、中村氏が思い浮かべるように「何億円という報酬を手にする技術者がごろごろと出現する」状況になるとは思えない。そもそも、そのように絶大な格差が生まれる状況が、日本に暮らす人々のメンタリティに適うのかという疑問がある。けれど、技術者全体の処遇を底上げする効果は相当にあるのではと思う。

 一方で、処遇改善の効果を発揮するほどリソースの流動化が進むのはいつのことやら、という懸念もある。そうなれば、当面残された手段は労働組合の再活性化ということか。既存の労働組合に奮起を促すというのが普通だろうが、個人的には何だか期待ができない。いっそのこと古いイデオロギーに縛られない、新タイプの組合を結成する方が手っ取り早いだろう。どこかでそんな動きが生まれないかと期待しているのだが。

 私だって若くて血気盛んなころは、既存組合の現状を目の当たりにして「いっそ新組合を旗揚げしたら」などと思わぬでもなかった。社員食堂で「やらなきゃダメだよな」とか、その構想の一端を同期の友人に漏らすこともあったかもしれない。

 けど、実際にやったのは、ヘンな名前のソフトボールチームを結成したことくらい。われながら「ちっちぇーなぁ」と思う。