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谷口紀男博士とナノテクノロジー

 1974年に東京で開催された第1回生産技術国際会議(精密工学会主催)において、谷口紀男博士がナノテクノロジーという概念を提唱され、同時に有名な「到達限界予測」を示されました。これにより、ナノテクノロジーという概念が一気に広がり、一躍世間の注目を集めることとなったのです。

 谷口博士はナノテクノロジーを「加工精度が1nmの製品を造り出す総合生産技術」と定義しました。このような定義を1980年代にさらに発展させたのが、米マサチューセッツ工科大学のK・エリック・ドレクスラー(Kim Eric Drexler)です。彼は著書「ナノテクノロジー 創造する機械」の中で、原子や分子の配列をナノスケールで自在に制御することにより、望みの性質を持つ材料、望みの機能を発現するデバイスを実現し、産業に生かす技術を提唱しました。この概念はその後、クリントン大統領のナノテクノロジーイニシアチブに受け継がれていきました。

 世界に先駆けていち早くナノテクノロジーの概念を提唱したのが日本人であった、ということは注目に値することでしょう。

谷口博士の到達限界予測

 谷口博士が1974年に提唱した、到達限界予測を図2-1に示します。谷口博士は加工精度をおよそ1桁おきに区分し、普通加工、精密加工および高精密加工、超精密加工と、加工技術を4つに分類されました。

図2-1 谷口博士の到達限界予測
図2-1 谷口博士の到達限界予測
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 この当時、超精密加工(ナノテクノロジー)の限界加工精度は5nmくらいでしたが、谷口博士は2000年ごろには1nmのオーダーまで到達する、と予想されました。ただし形状寸法加工という立場から、物質の連続性の限界としての結晶格子間隔0.3nmより細かい加工は望めない、という前提を持っての予測でした。