慶應義塾大学大学院の前野隆司教授とホッピービバレッジの石渡美奈社長による対談の第2回。戦後の物資の少ない時代に人々の幸せを支えたホッピーは、その後、何度かのブームがありながらも低迷期を迎える。2000年代に入って、マスコミも放っておくことができない女性経営者として頭角を現した石渡社長は、ホッピーの新しい方向性を打ち出し、売り上げを伸ばした。しかし、今また停滞の時期に入っていると感じる石渡社長が考える次のイノベーションのタネとは。

1990年代に父がイノベーションを起こしました

前野 僕が大学生のころ、1980年代初めにホッピーが流行した記憶があります。ただ、言っちゃ悪いけど、そのときにも安い飲み物で、「お金がないサラリーマンが飲む」という場末のイメージだったように思うけど。

石渡 そうですね。ホッピーは戦後の物資のない時代に大きな支持を得て*1、その後は高度経済成長と共に忘れられちゃったんです。

*1 ホッピーが戦後に支持を得る経緯については、前回コラム「ホッピー3代、長く愛される商品の秘訣」を参照。

前野 戦後を支えたコンセプトのままではダメな時代が到来していたということなんですね。

石渡 父(現会長の石渡光一氏)が製造設備を整えて、技術を革新させた時期はあったのですが、ライバル商品が出てきて市場シェアはジリ貧でした。

前野教授と石渡さん(右)(写真:加藤 康)
前野教授と石渡さん(右)(写真:加藤 康)
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 ところが、1990年代に父がイノベーションを起こしました。地ビールです。1993年に細川内閣が打ち出した規制緩和でビールの製造免許を取りやすくなって、「これだ!」と突っ走った父は地ビール製造を始めました。社内は全員反対だったらしいんですけど。

前野 確か、そのときは地ビールブームが起きて、多くの会社が参入しましたよね。うまくいったんですか。

石渡 当時、ほかの新規参入企業はイチから製造設備を入れる必要があったので、地ビールの価格が1本500~800円ほどと高かったんです。でも、うちは既に持っている設備を使って製造できたので新しい投資が必要ありませんでした。だから、300円台と破格の値付けで地ビールを出せたわけです。それで息を吹き返して、一時は地ビール屋さんのようになっていました。

前野 今の「赤坂ビール」のこと?

石渡 赤坂ビールの前身ですね。「深大寺ビール」を作ったり、タレントの加藤茶さんとコラボレーションして「加藤茶ビール」をやったり、伊勢丹と組んで「新宿三丁目ビール」をやったり。そのころに「地ビール、面白そうだな」と思いまして、私は会社を継いでみようと考えるようになったんです。祖父(創業者の石渡秀氏)と父が手掛けてきたことは、本当にイノベーションの繰り返しというか…。